「文化映画」について
今は、死語になった言葉に、文化映画がある。 これは、記録映画、ニュース映画、PR映画等を含む言葉で、1942年の映画法の成立によって、日本中の映画館では、これらの上映が義務ずけられたのだ。 同時に、当時200社あったと言われていた文化映画社は、最終的には4社に統合された。 このとき、劇映画では、約20社あったというのを、情報局は、東宝と松竹の2社に統合しようとした。...
View Article原辰徳、監督辞任
原辰徳が巨人の監督を辞めるそうだが、当然である。 私は、二つの点で、原はひどいと思ってきた。 一つは、大城の他、山崎、中川等の東海大の選手をやたらに使うことで、サラリーマン社会なら「可愛い後輩」を使うのは良いが、実力主義のスポーツで、学閥優先はまことによろしくない。 横浜DeNAの監督をやった中畑清も、駒沢大学出の選手ばかり使いまことに、バカじゃなかろうかと思ったものだ。...
View Articleうなぎ屋でジャズを
いずれ出てくるだろうが、服部良一さんの最初の音楽の職場は、大阪の出雲屋というウナギ屋だった。 ウナギであり、泥鰌すくいではない。 たしかに、ウナギは注文を受けてから焼き、出来上がるんで時間がかかる。 テレビも有線放送もない当時、時間繋ぎになにかの「余興」は必要だったろう。 そこで、ジャズバンドがおかれたようだ。...
View Articleジョーさんの方が偉いね ジャニー喜多川問題で
マスコミで報道されるジャニー喜多川の性加害は、ほんとうに呆れる。 350人以上の少年に性加害を加えたというのだから、まさに性犯罪以外のなにものでもない。 思い出すのは、3年前に亡くなられた日活の大スターのエースのジョーこと、宍戸錠さんである。 彼は、1,300人以上の女性と関係してたと豪語していた。...
View Article全国にあった少女歌劇団
『ブギウギ』では、主人公が某歌劇団に入団できたところで、今週は終わった。 大正末から昭和初期、宝塚歌劇団の成功を見て、全国に様々な少女歌劇団ができた。 横浜にも鶴見の花月園に花月園歌劇団があり、1990年代に亡くなった私の母も見に行ったことがあると言っていた。...
View Article『黒い樹海』
1960年、大映作品、後の「黒のシリーズ」に先行する松本清張原作のサスペンス映画。 主人公は、叶順子で、これが良い。私が早稲田の映研に入った時、部員の中で一番人気があったのが、彼女だった。 地方に旅行すると出かけた姉が、山梨で事故死したと聞き、現場に行くが、彼女の死を不審に思って、新聞記者の藤巻潤と一緒に犯人を捜す。...
View Article『黒い画集・あるサラリーマンの証言』
1960年、東宝映画、言うまでもなく松本清張原作で、もっとも映画化に成功した作品だろう。 準大手繊維会社の管財課長という堅い、さえない40歳の男が小林桂樹で、実は課内の女事務員・原知佐子を新大久保のアパートに囲っているというか、関係を持っていて、妻の中北千枝子には勿論内緒。 原と熱いひと時を過ごした帰り、道の角で近所の男の織田政雄に会い、つい会釈してしまう。...
View Article『復讐するは我にあり』
今村昇平は、戦後の監督で一番だと私は思う。 もちろん、増村保造も大好きだが、晩年はかなりひどくて、『この子の七つのお祝いに』や『エデンの園』はひどかったので、その分は割引して、やはり今村昇平にしたい。 これは、1963年から64年に、全国で5人を殺害した西口浩の事件を基にした佐木隆三のノンフィクション小説の映画化である。...
View Article宝塚以外の歌劇団
私が、一番芝居を見ていた1970年代、宝塚歌劇団の他、松竹歌劇団や日劇ダンシングチームがあった。 大阪のOSKは、さすがに見ることはできなかった。たまに来て、浅草国際劇場で公演することもあったようだが、残念ながら見ていない。...
View Article中東問題は、宗教戦争ではない
アラブとイスラエルの紛争、戦争の元は、宗教ではなく、水である。 この地域は、紀元前から水があり、死海、ガリラヤ湖など、水に恵まれた地域だった。 だから、『聖書』にも「ランド・オブ・ミルクアンド・ハニー」、つまり酪農ができ、農業もできる豊かな地域だったのだ。レバノンには、大森林があり、レバノン杉として有名だった。...
View Article「自分の記憶は、いい加減だな」と思う
ユーチューブで、ロジャーニコルズから、大滝詠一の『日本ポップス伝』、さらに『アメリカ・ポップス伝』を見て、最後に、1977年6月に渋谷公会堂で行われた『ファースト・ナイアガラ・ツアー』のラストのフィルムを見た。...
View Article北沢方邦氏、死去 93歳
今朝の朝刊に、人類学者の北沢氏が、亡くなったと出ていた。 構造主義派で、私も1冊くらいは読んだことがあるはずだが、中身は憶えていない。 ただ、この人が作・演出した芝居『ホピの書』というのを見たことがある。 1975年4月で、なんでもアメリカの先住民の伝承を基にしたものらしかったが、少しも面白くなかった。 ただ、それが上演された場所は、よく憶えている。...
View Article小学校の運動会で
外では、小学校の運動会が行われている。 私は、小学校の運動会では、苦い思い出がある。 6年生のとき、運動会のアナウンスの担当に指名された。 半分嬉しかったが、半分は嫌だった。 というのは、担当のA先生は、明らかに問題のある人だったからだ。 親友で、非常に可愛かった田辺史彦君は、「先生の膝の上にのせられて、おチンポコを触られた」というのだ。...
View Article『徹子の部屋・池内淳子・山岡久乃・乙羽信子』
黒柳徹子の『徹子の部屋』で、三人の「お母さん女優」で、池内淳子、山岡久乃、乙羽信子が特集された。 どれも面白かったが、彼女たちが母親を演じたのは、テレビで、映画ではない。 この三人の内、池内淳子と山岡久乃は、川島雄三監督の映画『花影』で、銀座のバーの女給とオーナーの役で出ていて、大変に二人とも好演している。 私は、この映画が大好きなのだ。...
View Articleナイアガラ・ファースト・ツアーから、布谷文夫ライブなど
ユーチューブで、1977年の渋谷公会堂でのファースト・ナイアガラ・ツアーを見ていると、いろいろと発見があった。 最後のアミーゴ布谷の『ナイアガラ音頭』(ここでは、ナイヤガラと表記)に、前のブログで「シリア・ポールが出てこなかった」と書いたが、浴衣女性の2番目は、彼女であることが分かった。...
View Article関内は、多くの人出だった
昨日の午後は、ある企画の打ち合わせで、関内に行くが、祭りで多くの人出だった。 元『浜っ子』『ハマ野毛』の編集長だった渡辺光次さんを入れて、いろいろと話す。 中で出たのが、元本牧の米軍基地に合った劇場のビル・チッカリングシアターのことだ。 本牧再開発のT課長は、大変優秀な方で、将来を期待された方だった。 彼などは、本牧を更地にすることが当然だったが、...
View Article広島の藤井には注意しよう
今シーズン、各氏の予想では、広島の評価は低かったようだが、私は、かなりやるのではと思っていた。 その理由は、広島から鈴木誠也がいなくなり、彼のホームラン頼みがなくなり、全員が単打でつなぐという広島本来の野球に戻りつつあった上に、ヘッドコーチに藤井が来たからだ。 以前から、阪神を見ていて、一番優れた、悪くいえば「少々ずるい」捕手は、藤井だったからだ。...
View Articleイスラエルのガザ地区攻撃は、東京大空襲と同じ
イスラエルが、ガザ地区を攻撃し、ハマスを殲滅すると言っているが、これは第二次大戦中に日本が受けた米軍の空襲の理屈とまったく同じだ。 かの第二次大戦中、アメリカ軍は当初は日本に対して「戦略爆撃」で、三菱重工や中島飛行機の工場等を爆撃していた。 ところが、猛爆撃の割には、日本の航空機生産は、減らなかった。...
View Article歴代局長に話す
昨日の夜は、横浜市港湾局のOB会のはまどり会の宴会に行く。 場所は、山下町のホフブロウであり、この店は、元はシルクホテルの後ろにあったレストランだった。 午後は、大黒ふ頭のスカイウォーク等を見学したらしいが、私は用があったので、夜だけ行く。 30人弱で、歴代二人の局長といろいと話すが、彼らは、結論しか知らないことの途中の話をする。...
View Article