私が、一番芝居を見ていた1970年代、宝塚歌劇団の他、松竹歌劇団や日劇ダンシングチームがあった。
大阪のOSKは、さすがに見ることはできなかった。たまに来て、浅草国際劇場で公演することもあったようだが、残念ながら見ていない。
というのも、SKDは、お上りさんと親父が客層で、劇がないからだった。ラインダンス目的の男ばかりだったわけだ。最近になって、衛星劇場で昔のSKDの公演を見ると、公演の演出と撮影は、松竹大船の助監督がやっていて、SKDでは演劇性は問題にされていなかったようだ。
吉本隆明説では、「ドラマは物語性の上に成立する」のであり、演劇性のないSKDには、感動性が薄いのだった。残るは、踊りだけになり、その結果、親父の嫌らしい目だけとしかなくなるのだ。
それは、日劇も同じで、ここはコメディアンやアクロバット・ショーなどもはさんでいたが、演劇性は希薄だった。
そこで、起死回生の一策として、ラスベガスのヌード・ダンサー(と言っても上半身裸の大女軍団だった)の合同公演だった。
だが、結果としては、「NDTは結構上手い」という評価だけで、これが打撃となったと思う。
当時、NDTのスターは、西川純代、鹿島とも子、森田敏子等だったが、次第に映画やテレビに移行してしまったのは仕方ないことだと思う。大規模の女性集団による公演は、人件費高騰の時代になり、無理になったのだ。
さて、この中では、鹿島とも子は、後にオウム真理教の広告塔にされたことで有名になった。
このNDTは、東京にあった性か、映画界に女優としても出ていて、北原三枝、根岸明美、中田康子ら多数いる。
いずれにしても、宝塚歌劇団のみが生き残っているのは、やはり小林一三の力だと私は思うのだ。