いずれ出てくるだろうが、服部良一さんの最初の音楽の職場は、大阪の出雲屋というウナギ屋だった。
ウナギであり、泥鰌すくいではない。
たしかに、ウナギは注文を受けてから焼き、出来上がるんで時間がかかる。
テレビも有線放送もない当時、時間繋ぎになにかの「余興」は必要だったろう。
そこで、ジャズバンドがおかれたようだ。
また、物珍しさもあり、高島屋や三越などのデパートにも少年音楽隊があり、店内をパレードしていたようだ。
その中から出たジャズ・ミュージシャンには、南里文雄などがいた。
さて、当時の日本でジャズが、大阪等の関西で盛んになっていた理由は、言うまでもなく関東大震災があり、壊滅した東京から、音楽や映画、文学者等が大挙して関西に移住したことがあった。
谷崎潤一郎も、その一人であり、そのことが後に名作『細雪』に至る小説を生んだのである。
橋下徹や松井一郎らが言う、大阪、関西圏の再興には、こうした文化的基盤にこそ目を向けるべきなのだが、文化音痴の彼らにそうした発想はない。