西区は、三菱重工の城下町だった
月曜日の夕方は、ランドマークタワー内の横浜市大エクステンションセンターで行われた「フォトグラメトリーが近現代史の視点を変える」に行き、杉島和三郎さんのお話を聞くが、非常に興味深かった。...
View Article鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん
松村議長のことを書いたので、その前に公的秘書として仕えた二人の自民党の議長について述べる。 お二人は、かなり対照的な出自だったが、自民党なので非常に共通したところもあった。 まず、区だが、鈴木先生は、横浜市西区で、住所は久保町だった。 対して、相川さんは、金沢区の六浦で、大地主相川家の当主だった。...
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1975年の春、川口正英さんの議長が終わった頃、正確な数字は憶えていないが、横浜市会の党派の順は、自民、社会、公明、民社で、共産党だったと思う。 なので、議長は自民党の序列からみて、今度は西区の鈴木喜一さんだろうとの噂だった。 だが、驚くことに議長は、社会党の大久保英太郎さんになった。 その理由は、自民党団長の横山健一さんが、...
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相川さんはに行く前に、もう一つだけ鈴木喜一さんのことについて追加する。 それは横浜駅のホテル・リッチのことで、今は横浜キャメロット・ホテルと名が変わっている。 横浜の地下街の一番端にあるホテルだが、その名の通りリッカー・ミシンが作ったホテルだった。 そこは木材の市場があり、一時は浦舟町の横浜市大病院の移転候補地ともなったところだった。...
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相川藤兵衛さんが議長になり、私は非常に気が楽になった。それは、相川さんは、非常に温厚で気難しいところがまったくなかったからだ。 鈴木先生は、横山先生との関係にあるように人の好みが結構あり、だめと思い込んだら、ずつとダメだったからだ。横浜市役所では、人事異動の前に、内示があった。...
View Article内示を取り消された課長
昨日、横浜市役所で、鈴木喜一議長の一言で内示を取り消された課長について書いた。 その方は、職員時代に市会事務局にいて、その後各局をまわった後に係長試験に合格し、課長になった方で、やっと憧れの市会に戻れることになった。 そして、その頃は、し尿処理の現場にいたとのことだった。...
View Article区役所で困ったこと
横浜市では、磯子区、緑区、金沢区の区役所に勤務した。 その中で、一番困ったのは、そこでの飲み会の話題に、必ず「この日本酒は旨い」とか「この焼酎がよい」との話題が出ることだった。 私の舌は味音痴らしく、日本酒や焼酎の味はわからない。 逆に鼻は良く利き、普通の人よりも敏感なのだが。 そうした宴会で、いつも思っていたのは、...
View Article美空ひばり、ブラジル公演
1980年夏、美空ひばりは、ブラジル公演に行った。現地の奥原興行によって行われた公演には、約5万人の人間がブラジルのみならず、南米諸国から見に来たとのことだ。 このとき、ひばりは、まだ30代であり、見るとかなり若々しい。 ホリゾント幕には、加藤哲也、香山武彦の名も書いてあり、まだ生きていたんだなあと思う。...
View Article大久保英太郎さん
大久保英太郎さんは、横浜市会史上で、初めての社会党の議長であり、4年間の任期も務めた方である。 私は、最後の半年を議長秘書として仕えたが、大変に勉強になった。 私は、大久保さんの生まれは知らない。ただ、もともとは北海道の道東の電報局にいたそうで、市会でのあだ名は「デンポー」だった。 どのようにして横浜の市会議員になったのかも知らないが、当時は保土ヶ谷区の星川に自宅があった。...
View Article古畑弘二だった 『20歳の恋』
先日、トリフォーも監督したオムニバス映画『20歳の恋』の日本編の主人公の青年は、石崎浩二だろうと思っていたが、今のウィキペディアを見ると、古畑弘二になっているので、どちらが正しいのか、確かめたくて、日本ATGのパンフがネットにあったので、買う。 するとやはり古畑弘二で、女優は田村奈己だった。...
View Article『JFKを作った3人のケネディ』
NHKで、ケネディ元大統領を作り上げた3人のことが放映された。 父ジョゼフ、妻ジャクリーン、そして弟ロバートである。 前二人の死は、知らないが、ロバート・ケネディが殺された日はよく憶えている。 1968年6月で、私は当時付き合っていた子と、渋谷の喫茶店にいた。 いつも待ち合わせていたのは、新宿だったので、この日は、その前にどこかに行ったのか、記憶はない。...
View Article『ベストキッド・2』
公開時に見たのは、監督がアビルドセンだったからで、『ロッキー』のように面白いと予測したが、相当に満足した。 要は、『ロッキー』のように弱く見えるのが、実は強いというので、その元は『座頭市』である。 ロスにいるモリタとダニエルが、モリタの父が危篤とのことで、故郷の沖縄に戻って来る。...
View Article石原慎太郎と安倍晋三の共通点
去年、2022年は、石原慎太郎と安倍晋三が亡くなった年だったが、この二人には共通するところがある。以前、私は、石原慎太郎原作の映画について、次のように書いた。...
View Article映画は、風俗描写が重要
あまりに暑くて、外に出るのが嫌だったので、昔の録画の藤田敏八監督、秋吉久美子主演の1974年の『妹』を見る。さらに、今井正監督で、草刈正雄と共演の1975年の『あにいもうと』も見る。 昔、松竹で監督の吉村公三郎は、島津保次郎から「いいか、映画は風俗が重要なんだぞ」と言われたそうだ。...
View ArticleYouTubeには、黒木和雄作品もある
本当に、YouTubeには、なんでもあるもので、なんと黒木和雄が日本羊毛振興会のPR映画として作った1961年の『恋の羊が海いっぱい』もあった。...
View Article医療・福祉と文化・芸術は違う
私は、なぜ山下ふ頭開発で、最初に金沢の横浜市大病院をと言っているのは、医療・福祉と文化・芸術は、本質的に違うし、また自治体としてするべきものと、絶対にしなくてはならないものではないものとの差異があることだ。...
View Article『7人の刑事・女をさがせ』の二人の制作者
『7人の刑事・女をさがせ』を見た。 これは、川崎国際で見たように記憶していたが、ノートには記録がなく、今回見てまったく筋を憶えていないので、初めて見たのだと思う。 監督・脚本の高橋治は、これが松竹での最後になり悦の、後には小説家になったのは、奥さんが文芸誌の人だったからのようだ。俗に高橋は、松竹ヌーベルバークの最初のように言われるが、内容的には無関係で、あえて言えば兄貴分的存在というべきだろう。...
View Article『猛獣使いの少女』
1952年の大映映画、オール・アメリカン・サーカス団が、蔵前国技館で興行をする。 大映というのは、時代劇の古臭い会社のように見られているが、実は洋画部があり、1960年代は、ディズニー映画の配給をやっていた。 パシフィコ横浜にいたとき、Fさんという女性がいて、彼女の父親は経団連の幹部、母親は大映洋画部にいたとのことで、彼女の家庭では、英語で話しているという噂だった。...
View Article万博、カジノに正反対のものはなにか
昨夜は、「山下ふ頭についてのみんなのプロジェクト」の野毛のハナハナでの会議に出た後、元市役所の野田邦弘君らと懇親をした。 土曜日の夜で、ベイスターズ戦もあったとのことで、野毛は大変な混雑だった。 ただ、ベイスターズは負けたので、そのユニフォームの連中はいなくて、逆に広島のファンがいたようだ。...
View Article思い出のジェーン・バーキン
ジェーン・バーキンが死んだそうだ、76歳。 彼女の夫・セルジュ・ゲンスブールのコンサートは見たことがあるが、ステージ上でスパスパと煙草を吸うというすごいものだったが、やはりその影響のガンなのだろうか。 彼女には、ブライアン・ジョーンズからエディ・コクラン、ジミ・ヘンドリックスなど、死んだミュージシャンを唄う曲があった。...
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