1980年夏、美空ひばりは、ブラジル公演に行った。現地の奥原興行によって行われた公演には、約5万人の人間がブラジルのみならず、南米諸国から見に来たとのことだ。
このとき、ひばりは、まだ30代であり、見るとかなり若々しい。
ホリゾント幕には、加藤哲也、香山武彦の名も書いてあり、まだ生きていたんだなあと思う。
正直に言って、ひばり・チエミ・いずみの3人娘の内、ひばりが一番嫌いで、いずみが一番好きだった。
理由は、雪村いずみは、西欧的で素直な感じがしたからだった。
今見ると、いずみはほとんど素人としか見えない。それは、当然で、雪村いづみの父の朝比奈氏は、戦前にハワイアンバンドを大学でするなどの上流の方で、戦後は占領軍に勤務していた。
だが、彼は急に自死してしまったので、娘のいずみが芸能界にデビューしたのであり、素人的なのも当然だった。
いずみ自身が言っている「一番下手な私が生き残ってしまった」
このブラジル、サンパウロで行われた公演では、ラテン曲から始まり、彼女の日本調の曲の数々、ヒットソングなどを歌っていて、さすがである。
私が、美空ひばりを再認識したのは、中村とうようさんのイベントで、そこで彼女のSPの『アゲイン』を聴いてびっくりしたのだ。
「阿川泰子など、これを聴いて死ね」と思ったのだ。