私は、なぜ山下ふ頭開発で、最初に金沢の横浜市大病院をと言っているのは、医療・福祉と文化・芸術は、本質的に違うし、また自治体としてするべきものと、絶対にしなくてはならないものではないものとの差異があることだ。
もちろん、前者の医療・福祉等は、法的にしなくてはならないものだが、文化・芸術は、設置義務はなく、やれるものならやっても良いと定められているわけだ。正確には、やれと決まっているわけではなく、またやってはならないとも決まっていない。要は、自治体の自由、しいて言えば市民の自由というわけだ。
だから、福祉や医療においては、ある条件に該当する者に対して、同一の施策、事業が必要となるが、文化・芸術においては、水準は問題にならない。
それは、創造の自由の範囲に属するからだ。
だから、私は、川村さんが言う「専門図書館」や穴澤さんが言う「美術教育」を否定はしないが、それはするもしないも自由なので、民間レベルで構築してはじめた後に、公共の補助を求めるのが筋だと私は思うので、最初から山下ふ頭でやってくださいは、順番が違うと思うのです。
横浜で、自分たちで創造的な活動をやってきた稀有な例が、横浜ボートシアターで、他にはあまりないが、福祉の分野では立派な例があるので紹介する。
それは、今は栄区にある「訪問の家・朋」である。ここは、所謂「重複障害」と言われる・心身障害児・者の通所施設で、もともとは日本に存在しなかった制度の施設なのである。
それは、南区中村養護学校で心身障害児のケースワーカーをやっていた、日浦美智恵さんが、養護学校を出ると、行く場所がなかったので、苦慮したことに起因している。
当時は、心身障碍児・者は、中学を出たら施設に入るか、自宅で面倒をみることしかなかった。つまり、通所施設に通い、町に出て生活するという発想がなかったので、施設も補助制度もなかった。
そこで、日浦さんたちは、父兄と共に場所をまず仮設の場所を確保した。さらに、バザーなどをやって金を貯め、ついには建物を作ってしまったのだ。
その後、それが国に認められて、補助金制度もできることになる。そこには、元厚生省にいて、宮城県知事も務めた浅野史郎氏らの理解と協力もあったのだが。
だから、山下ふ頭開発においても、まず横浜市として必須の事業である横浜市大病院移転をまずやらせ、そこを核に「福祉・医療・保健の町」を作ってもらうことにする。
そして、その後に少しづつ先進的な町にすれば市と市民の理解も得られるのではないかと私は思うのですが、いかがでしょうか。