『いいかげん馬鹿』
1964年に松竹で作られた山田洋次の「馬鹿シリーズ」の2作目。 ここでも、主人公の安吉はハナ肇だが、相手役のお嬢さんは、岩下志麻になっている。 1作目は、桑野みゆきだったが、彼女が次第に松竹作品への不満を持ち始めていたので、岩下や倍賞千恵子へと変えていく端緒でもある。...
View Articleウォーマッド横浜に関連したイベントは
昨年の関内でやったトークイベントで、小林昭仁君が、さかんにウォーマッド横浜と国連ピースメッセンジャー都市会議との関連を質問された。 私は、即座に否定したが、ピースメッジャー都市会議は、当時横浜市国際室長だった大内さんが、 「我こそは、国際人だ!」と示したかったために招致してやった会議だった。なにしろ、大内さんは、英語はもちろん、ドイツ語、韓国語も堪能という、非常に珍しい土木屋さんだったからだ。...
View Article『エイジアン・ブルー浮島丸サコン』
松竹の城戸四郎は、新しい企画が来たとき、「それは、なんだ一言で言え」と聞いたそうだ。 一言で言えない企画など、大したことないもので、私も市役所にいるとき、部下にさんざ言ったものだ。 この映画も、いろんな要素が混入していて、その分だめになっている。 平安建都1200年記念だそうだが、それはどこにあるのか、不明。...
View Articleかながわ国際交流フェステイバル「国際音楽舞踏祭』
1991年のウォーマッド横浜の前年、神奈川県が、突然「かながわ国際交流フェステイバル」をやると言ってきた。 それも、各都市の国際交流担当課を集めての会議だった。 おそらく、1989年に横浜市が博覧会をやったので、これに対抗した策だったと思え、実際に三浦海岸で、「サーフ90」というイベントをやったのだが、こっちは陸場のイベントだった。...
View Article『悲劇の将軍山下奉文』
こう書くと不謹慎と言われるかもしれないが、近年一番に笑った作品である。 早川雪州が演じる山下が、非常に世間離れしていておかしいからだ。 本当に見ていて、実におかしい。 もちろん、敗戦直前のフィリピンの戦況自体が、悲喜劇的なのもあるが。 山下が、フィリピンに赴任し、ルソン島が決戦だと言われていたのが、すぐにレイテが決戦だと変更される。...
View Article堀川弘通と吉村公三郎
先日、堀川監督の作品を見て、思ったのは、吉村公三郎とのことだ。 どちらも、東宝、松竹の看板監督だったが、最後は必ずしも良くはなかったように思える。 吉村の場合は、新藤兼人と共に、松竹を自ら辞めた性だが、堀川監督の場合は、東宝で次第に活躍する場所がなくなり、最後は東京映画での『アラスカ物語』の失敗で、東宝系から出て、独立プロで作品を作るようになる。...
View Article『ウォーマッド横浜 歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を配った
横浜稲門会のカラオケクラブの例会で、『ウォーマッド横浜 歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を、日頃お世話になっている皆さんにお配りした。 ご迷惑なら、近所の図書館か地区センターの図書室に寄付していただきたいとお願いした。 ブックオフに持って行っても、50円くらいにしかならないのだから。 1月11日、水曜日の夜のことである。
View Article間違えがあった 桐朋学園
『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』で、新しい間違いを見つけた。 劇団俳優座が、その俳優の養成所を止めたくだりで、「桐朋学園に移行させた」のことで、正規の4年生の大学と書いたが、桐朋学園の演劇系は、実は4年制ではなく、2年生の短大なのだった。 いまどき、絶滅危惧種のごとき短大とは気がつかなかった。...
View Article『左ききの拳銃』
1958年のアーサー・ペン監督の作品で、主演はポール・ニューマンで、演じる役はビリー・ザ・キッド。 21歳というには、少し年取りすぎているが。 ビリーは、リンカンの町で、世話になった男が殺されたことから「復讐だ」として、2人を殺してしまう。 そこにパット・ギャレットが保安官となって、ビリーを追う。...
View Article最初は菅原文太だった 『新幹線大爆破』
昨夜は、新宿の紀伊国屋で行われた、関根忠男さんと鈴村たけしさんとの文庫本『惹句術』のトークショーに行く。 新宿に夜に行くなんて、何年ぶりだろうか。 ルミネから甲州街道に出るが、こんなに下がる道だったのかと思う。 『惹句術』は、元は単行本として出たが、二度目の文庫化なのだそうだ。...
View Article『惹句術』から思ったこと
松竹映画の指導者だった城戸四郎は、シナリオが大好きで、上がってくる企画には、必ず目を通した。 そして、聞いた「どんな映画か一言で言え」と。 そう考えると、映画のポスター等に掛かれる惹句は、まさに城戸四郎への返答だったわけだ。 この一言で言えは、非常に意味のある表現で、私も役所にいるときは、部下が持ってくる企画の説明に行った言葉だった。...
View Article『武蔵坊弁慶 29話』
去年亡くなった下川博脚本の代表作だろう。 杉山義法との共作となっているが、当時下川の言っていたところでは、杉山はほとんど書いていなくて、下川が書いたとのことだ。 話は、安宅の関で、中村吉右衛門の弁慶が勧進帖を読み上げるところで、富樫は児玉清。 最後、見せろと言うところで、弁慶は白紙の勧進帖を見せる。...
View Article『映画の香気』 荒木正也
最近読んだ本では一番面白かった本である。 荒木氏は、大学卒業後、松竹に入り、大船撮影所で制作を担当する。 いろんな作品があるが、一番重要だったのは、小林正樹監督の『人間の条件』である。 その3・4部の、満州を舞台とした作品は、北海道での長期ロケで撮影したのだが、スタッフ・キャスト120人、貨物列車120台を組んで行かせたのだとのこと。...
View Article映画『東京裁判』の問題シーン
映画『東京裁判』は、非常に公平な見方の作品だが、中で一つだけ問題なのが、南京事件の部分で、中国側が作った先導的映画を挿入しているところだろう。 それについては、荒木正也さんなどスタッフも反対したが、小林正樹監督が、 「どうしても入れたい」として入れたフィルムである。 そこで、「これは中国が作った宣伝映画である」とのコメントを入れることになった。...
View Article下川博とやった企画
昨年の今頃亡くなった友人の下川博とは、芝居だけではなく、いろんな企画を一緒に考えたことがある。 と言うのも、彼は大学院を出た後、すぐには定職につかなかったので、その間、いろんな企画をさがしていたのだ。 私も、彼が持ってくる企画に一緒に考えたことがいろいろあった。 その一つが、アメリカの某化粧品会社が、日本で新製品を発売する時のキャンペーンだった。...
View Article外資系化粧品会社は
前回に書いた下川とやったメークアップショーの企画は、マックスファクターから来たものだった。 マックスは、よく知られているようにハリウッドのカラー映画の女優のメイクで有名になった会社だった。 監督の大島渚も、1950年代の松竹大船撮影所でのカラー映画撮影には、必ずマックスのメイクアップ・アーチストなる女性がきて、撮影に立ち会っていたと書いている。...
View Article唐十郎の芝居を思い出した 『しみかん曼荼羅・モノガタリ』
私が苦手なのは、シャンソンと能なのだが、制作の斎藤朋君から案内をいただいたので、両国のシアターχに行く。ここも、もう昨年に30年を過ぎたのだそうだ。わがウォーマッド横浜91と同時代なのだから、立派なものだと思う。 Ⅰの「観世寿夫を読む」は始まっていて、観世の「世阿弥を読む」などの朗読が、清水寛二さんによって行われていた。...
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