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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『映画の香気』 荒木正也

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最近読んだ本では一番面白かった本である。

荒木氏は、大学卒業後、松竹に入り、大船撮影所で制作を担当する。

いろんな作品があるが、一番重要だったのは、小林正樹監督の『人間の条件』である。

その3・4部の、満州を舞台とした作品は、北海道での長期ロケで撮影したのだが、スタッフ・キャスト120人、貨物列車120台を組んで行かせたのだとのこと。

当時のことなので、恐らく国鉄のチッキで送ったのだと思うが、これも実に面倒なものだったらしい。

先輩の林さんは、大学に入ったころは、ドサ廻り、つまり地方公演があったそうで、そのために装置、衣装等をチッキで送ったとのことだ。

そして、荒木氏は、松竹を辞めて博報堂に入る。

 

                    

そこでも、映像企画をやっていたが、ついに博報堂・講談社が製作していた『東京裁判』に関わり、小林正樹監督の下で、制作を担当することになる。

その様が、すごいもので、結局荒木氏がシナリオを書くまでになる。

本来は、小林監督の下で助監督をやっていた稲垣公一氏が、辞められることになる。

その小林正樹氏の映画製作への厳しさ。稲垣氏は、60年代は非常に期待された若手監督の一人だったが、松竹を離れて、その後東宝系で作って終わられることになるが、その経緯も分かった。

小林正樹は、シナリオはもとより、編集にも厳しく、完成して試射になっても、あるカットの繋ぎのタイミングや時間を変えるなど、非常に厳しい人だったようだ。

要は、昔の日本の工芸品や美術の名人、名工のような人だったようだ。

そうした精緻さは、小林正樹のみならず、黒澤明も同様だったと思えた。

日本の監督は、江戸時代の以後の名人、名工だったとも言えるないかと思えた。

 


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