私が苦手なのは、シャンソンと能なのだが、制作の斎藤朋君から案内をいただいたので、両国のシアターχに行く。ここも、もう昨年に30年を過ぎたのだそうだ。わがウォーマッド横浜91と同時代なのだから、立派なものだと思う。
Ⅰの「観世寿夫を読む」は始まっていて、観世の「世阿弥を読む」などの朗読が、清水寛二さんによって行われていた。
なにせ、本の朗読であり、動きもなにもないので、私の前の席の女性は、ずっと寝られていた。
しかし、観世さんの言うことは、すべて正しく、その通りと思えるご指摘ばかりで、観世氏の凄さを再認識した。
休憩中に斎藤君から、志賀信夫さんを紹介される。以前おられたテレビ批評の志賀さんとは同姓同名だが、こちらの志賀さんは、舞踏批評家である。「テレビ批評の志賀さんは、もう亡くなられているが、年取った人からは、未だによく間違えられます」とのこと。
関係ないが、ロビーにある立派なソファーは、吉田日出子が持っていたもので、ここに寄贈されたとのこと。彼女は、脳の障害で、台詞は記憶できないので、舞台に立つことは無理なのだそうだ。
歌だけは憶えているようなので、歌のリサイタルはできると思うのだが。
次の「モノガタリ」も、原民喜の小説、詩集、そして佐々木基一への手紙など。
ところが最後の「水をクダサイ」になると能に変わる。
死者が蘇って自らの声を上げた瞬間だった。
私は、ここで異なるが、唐十郎の状況劇場の芝居を思い出した。
唐十郎の芝居では、さまざまに猥雑な事項が表現され人物が右往左往するが、最後急に死者が表れて自己を語り、いきなりドラマが立ち上がる。
これは、唐十郎が、状況劇場の前に、劇団青年芸術劇場にいて、やはり能役者で、同劇団の演出者だった観世栄夫から受けたものだと思う。
つまり、唐十郎の芝居が日本の1960年代にきわめて特異だったのは、「新劇と能の統合」だったからだと私は思う。
Ⅲの高橋アキらの「踊 舞 オドルマイ」は、高橋アキの音楽は苦手なので、失礼して帰る。
非常に寒かったが、大変に意義のある一日だった。