『サムライ』の衣装は、『愛の嵐』だ
昨日は、中川さんの講座の最終回で、1970年代、沢田研二、ピンクレディ、山口百恵の時代のこと。 中で、1978年の沢田研二の『サムライ』、題名はアランドロンの映画だが、ナチス風の衣装は違う。 それは、リリアーナ・カバーニ監督、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングの『愛の嵐』だと思った。...
View Article根岸湾埋立2
いきなり港湾局に現れた二人組の話を調べるため、港湾局の書庫で昔の書類を調べた。 すると、根岸湾埋立は、昭和初期に横浜市が住宅地を作るために権利を取ったところだった。 関東大震災もあったのだろう、良好な住宅地を作るのが目的だった。 だが、当時、横浜市はあまり金もなく、すぐに日中戦争、支那事変になってしまったので、埋立は放棄されていた。 そして、太平洋戦争になり、負けて米軍の進駐になる。...
View Article創価学会発祥の地 大田区
創価学会発祥の地は、どこだろうか。 それは、東京都大田区である。牧口も戸田も、池田大作も、皆大田区で活動を始めている。 だが、それは宗教活動ではなく、教育活動で、創価教育学会と言っていた。 実際には。塾や受験参考書の販売、テストの実施などで、私の父も大田区で教員をやっていたが、父は、 「学会は、テスト屋だ」と言っていたそうだ。...
View Article沢田研二は、沢田研二を演じていた
先日の中川佑介さんの講座で、あらためて 「沢田研二は1977年の『さよならもいう気もない』以後は、衣装を必ず変えている」ことを聞く。 彼の芝居を、セゾン劇場で見たことがあり、随分と歌の時と違うなと思った。 「歌よりも、もっと男っぽい大人の演技なのだ」...
View Articleサブチャンネルはピントが落ちる
テレビのBSで、野球の中継を見ていると、予定時刻が過ぎると、サブチャンネルに変わることがある。 それはそれで良いのだが、どこでもサブチャンネルになるとピントが甘くなる。 どうしてなのだろうか、教えてください。
View Article『瀬戸内寂聴・99年生きて思うこと』
今年5月で100歳になる予定だった作家瀬戸内への長年のインタビュー。 じつに明るく、伸び伸びとしているのには参る。 なにも怖いものはないのだから。 作家で99歳といえば凄いが、普通の人間で、今や100歳もいくらでもいる。 なんと横浜市でも、2500人近くいるのだ。まことに超高齢化時代である。...
View Article石阪市長の係累は
先週、「ブラタモリ」で、町田市を取り上げていた。 その最後で、石阪昌孝町田市長のことが言われた。 この人は、立派な方だったようで、北村透谷らを援助した民権派だった。 透谷の妻のミナは、石阪の娘だった。 さて、その後はと言えば、現市長の石阪丈一氏も、この係累のようだ。 私が経済局にいたとき、 「石阪ミナって知っているか」と聞かれ、「透谷の奥さんだろう」と答えたところ、...
View Articleシダックス系のカラオケ店では
今は退却してしまったが、一時はシダックスは、全国でカラオケ店をやっていた。 その店では、石原裕次郎、小林旭、渡哲也等の曲は、日活の原画が出てくる。 それは、日活の役員がシダックスに天下りしていたからだ。 もちろん、ロマンポルノ時代のことである。 逆に言えば、日活映画の使用権を手にシダックスに行ったのだと思う。...
View Article石阪君について
2013年に猪瀬直樹が都知事を辞職したとき、私は次のように書いた。 猪瀬直樹都知事がついに辞職したが、テレビを見ていて横浜市役所には、彼に似た人がいたことを思い出した。 今は、町田市長として二期目の町田市政にご尽力されている石坂丈一氏である。...
View Article『命果てる日まで』
1966年の松竹映画だが、こういうのを見ると、西河克巳監督が言う 「メロドラマは、戦争や革命がないと成立しない」説が正しいと思う。 新幹線で、東京から京都に行く車内で、服飾デザイン会社の社員の山口崇は、自分の絵 がデザインされた帯をしている女性に会う。 これが、生田悦子で、彼女の売り出し映画である。...
View Article日本映画史における石原慎太郎の役割
石原慎太郎が亡くなり、いろいろと言われているが、彼の日本映画史における業績というか、彼がした結果について考えてみたい。 彼は、原作・脚本の他、俳優として以下のとおり映画に出ている。 1956.05.17 太陽の季節 日活 ... サッカー選手 1956.07.12 狂った果実 日活 ... 特別出演 1956.09.26 日蝕の夏 東宝 ... 三島直樹 1956.11.20 婚約指輪...
View Article『またまたあぶない刑事』
テレビ版は、一切見ていなかった。浅野温子と館ひろしが、嫌いだったからだ。 一応、柴田恭兵は、愛嬌があるので、許せるが、この二人にはないからだ。 1998年で、随分と横浜の古い物が残っていたなと思う。 冒頭の倉庫は、キリンビールの鶴見倉庫だった。 キリンが工場を改築されたとき、壊されたのだ。...
View Article『貴婦人の来訪』
新国立劇場の芸術監督が小川絵梨子になって初めて面白い劇を見た。 別に彼女のお力ではない。フリードリッヒ・デュレンマットの原作と演出の五戸真理枝、さらに主役の秋山菜津子の力だろう。 秋山については、彼女がまだ20代の頃、1991年7月の劇団健康の『カラフルメリでオハヨ』という愚劇で、唯一の救いと評価して以来、私はずっと注目してきた。 ここでも、主役として堂々たる演技だった。...
View Article「横浜さわやかさん」だった
朝、ゴミ出しに出ると、ゴミが一杯だった。 やはり、土曜日はゴミを出しやすいのだろうか。 そして、戻ると、曲が聞こえてきた。 「横浜さわやかさん」である。 これは、細郷道一氏が市長になった時に、「横浜さわやか運動」を始め、その曲の詞を募集した。 そして、高木東六が作曲したものだ。 いまもまだ使われているのか。
View Article国立劇場建設予定地
平河町の国立劇場が、来年で取り壊され、改築されるそうだ。 ここが、以前国立劇場建設予定地だったことを聞いたのは、早稲田の劇研の8年生林さんからだった。 今週が、何年目かになる1960年6月15日に、国会南通用門から国会敷地に入ったという林さんに、どうやって入ったんですか、と聞いたのは、多分1966年の秋頃だと思う。 「あの国立劇場予定地に集まって、そのままずっと行って入ったんだよ」と言われた。...
View Article『愛、革命に生きて』
フランス革命に、こんなことがあったなんて知らなかった。 高校で、日本史の荒久保先生は、非常によい先生で、歌舞伎マニアで、授業の70%が歌舞伎のことになる人だった。この先生から、『四谷怪談』と『忠臣蔵』は、テレコで上演されていたことがあると教えてもらたのだ。 『四谷怪談』は、『忠臣蔵』の外伝だから、そうした上演もあったのだろう。...
View Article『人形佐七捕物帖 裸姫と謎の熊男』 最後の場面は三渓園だった
熊男は出てくるが、裸姫などどこにも出てこない。 大蔵貢得意の、羊頭狗肉の題名である。 人形佐七は、ここでは中村竜三郎で、若山富三郎ではない。 佐七の他に目明かしで、小畠絹子がでてくるが、彼女の時代劇は珍しいと思う。 江戸で、春日屋などの商人が次々と殺され、女中の隅田川への飛び込み事件等がある。...
View Article『武蔵坊弁慶』
1942年の東宝映画、監督は渡辺邦男で、弁慶は岡譲二、牛若丸は髙峰秀子、小式部は山田五十鈴、平清盛は高堂国典。 弁慶は、京の都が荒れているのは、清盛の悪政の性だとし、それを払うために千本の刀を集めようとしている。 彼は、夜盗のような連中と荒寺に住んでいる。言ってみれば梁山泊と言ったところか。...
View Article女優の枯渇
先日、『命果てる日まで』を見ていて、1960年代後半は、松竹も女優が枯渇していたなあと思う。 この作品には、桑野みゆき、岩下志麻、倍賞千恵子が出ているのだが、実は脇に廻っていて、中心は香山美子と生田悦子、さらに生田の妹で尾崎奈々なのだ。...
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