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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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日本映画史における石原慎太郎の役割

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石原慎太郎が亡くなり、いろいろと言われているが、彼の日本映画史における業績というか、彼がした結果について考えてみたい。

彼は、原作・脚本の他、俳優として以下のとおり映画に出ている。

1956.05.17 太陽の季節  日活  ... サッカー選手 1956.07.12 狂った果実  日活  ... 特別出演 1956.09.26 日蝕の夏  東宝  ... 三島直樹 1956.11.20 婚約指輪  東宝 1957.07.30 危険な英雄  東宝  ... 冬木明 1957.10.15 穴  大映東京  ... 青年作家 1960.06.26 接吻泥棒  東宝  ... 石原慎太郎彼には、監督作品もあり、1958年の『若い獣』である。これは、実に変な映画で、日頃の彼の言動とは正反対の人間が主人公の作品なのだ。負け犬の映画なのだ。だが、この映画化の時、東宝の助監督連中が猛反対をし、他の部署の助手たちも反対した。当時、東宝には助監督が50人くらいいて、戦後ほとんど監督になっていなかった。そこに「石原慎太郎を監督にするとは怪しからん」と大反対になったのだ。そこで、組合と藤本専務との間で合意し、今後、外部から監督をさせるときは、東宝からも助監督を昇進せせるとなった。その結果、岡本喜八、須川栄三、恩知日出夫らが監督昇進できた。

   石原慎太郎以外のスタッフは、すべて非組合員と町場の助手でやることになった。

   スタジオも、砧は使えず、連合映画でやった。

   その結果作品は無事出来た。

   恩知曰く「素人でも映画はできるもんだなあ」だった。

 

   内容は、久保明がボクサーで、いろいろあるが、敗戦で恋人の団令子も、ジムのボスの河津清三郎に取  られて廃人になると言うものなのだ。決して久保を否定的に描いていないので、非常に不思議なのだ。

 堀川弘通曰く、「一度監督をやったので、もういいと思ったのだろう」とのこと。

 その後、石原慎太郎は二度と長編映画は監督はしなくなったのだ。

 


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