いきなり港湾局に現れた二人組の話を調べるため、港湾局の書庫で昔の書類を調べた。
すると、根岸湾埋立は、昭和初期に横浜市が住宅地を作るために権利を取ったところだった。
関東大震災もあったのだろう、良好な住宅地を作るのが目的だった。
だが、当時、横浜市はあまり金もなく、すぐに日中戦争、支那事変になってしまったので、埋立は放棄されていた。
そして、太平洋戦争になり、負けて米軍の進駐になる。
そこで、米軍は、横浜市内の自分たちの爆撃で出た瓦礫を処理するため、それを根岸湾に埋めさせたのだ。
だから、二人組が工事をしたというのは、嘘ではないのだ。
だが、米軍がきちんと書類を残していないわけはなく、連中が口頭で言われたと言うのは嘘なのだ。
そして、根岸湾埋立の最初が出来たが、まだ使用法は決まっていなかった。
その時に、神奈川にあった日本石油が、新しい工場を作りたいと言って来てので、これ幸いと横浜市は土地を売却した。
日本石油が、昔からここにあると思っている方は多いと思うが、それは戦後のことなのである。
海辺に高級住宅地を作るなど、随分と進んだ考えだったと思った。
今、山下埠頭の再開発が検討されているが、これは一つのヒントになるのではないかと私は思うのだ。