平河町の国立劇場が、来年で取り壊され、改築されるそうだ。
ここが、以前国立劇場建設予定地だったことを聞いたのは、早稲田の劇研の8年生林さんからだった。
今週が、何年目かになる1960年6月15日に、国会南通用門から国会敷地に入ったという林さんに、どうやって入ったんですか、と聞いたのは、多分1966年の秋頃だと思う。
「あの国立劇場予定地に集まって、そのままずっと行って入ったんだよ」と言われた。
当時は、戦後の瓦礫の山のような広場で、自由に集会が出来たのだ。
市川崑の映画『億万長者』で、原爆製造を訴える久我美子が叫んでいるシーンは、あの広場である。
その後、市民を威嚇する最高裁判所と国立劇場がで来て、広場は失われたのだ。
だから、日韓闘争の頃は、四谷の清水谷公園か、信濃町の明治公園で集まっていた。
そして、国会に近づくと、厳しくなった都条例で規制され、国会に近づくことは不可能になっていたのだ。
こんなこともう、誰も知らないので、ここに書いておくことにする。