新国立劇場の芸術監督が小川絵梨子になって初めて面白い劇を見た。
別に彼女のお力ではない。フリードリッヒ・デュレンマットの原作と演出の五戸真理枝、さらに主役の秋山菜津子の力だろう。
秋山については、彼女がまだ20代の頃、1991年7月の劇団健康の『カラフルメリでオハヨ』という愚劇で、唯一の救いと評価して以来、私はずっと注目してきた。
ここでも、主役として堂々たる演技だった。
原作は、1956年に書かれたものだそうだが、現在の世界のことのように見えるのは、すごい。
話は、欧州の小都市のギュウレン、かつては栄えたらしいここも、今は衰退している。
そこに昔いた女のクレールが45年ぶりに戻ってくる。
女優として成功した彼女は、「町に五兆、市民にも5兆を上げると言う。ただし、45年前に町の有力者イルから受けた陵辱の報いとして、彼を殺して正義を果たしてほしいと言う。
あまりの申し出に、最初はいぶかっていたが市民だが、次第にクレールの意見に同調するようになる。
そして、イルを殺してしまう。
まるで、現在のロシアのプーチンの行状を予言しているようにも見えるが、もっと普遍的なポピュリズムのようにも見える。
まあ、日本維新の会がやっているのは、すべてこれだとも言えるだろうか。
さて、コロナで、新国立劇場にも随分と行っていなかったが、久しぶりに行って、この国立施設が、「反バリアフリーの牙城」であることを知った。
小劇場の受付から、やっと階段を上って2階ロビーに行き着いて、客席内を見て、慄然とした。
客席の脇の通路に、何もないのだ。
今では、町のシネコンでは、通路側に、座席毎に手すりが立っていて、それを伝って通路を安全に上下することが出来る。
この国立施設には何もないのだ。
小川は、芸術を監督する前に、劇場の客席のバリアフリーをきちんと監督しろと私は言いたい。
本当にひどい国立劇場である。
新国立劇場