まったりトーク 岡田則夫さん
小島豊美さんの「まったりトーク」の案内が来て、講師が岡田則夫さんだったので、神保町のきっさこと言う店に行く。 基本はジャズ喫茶らしいが、ここで小島さんが主催する「よろず長屋まぅたりトーク」https://www.facebook.com/yorozunagaya/photos/gm.1980191135577447/514596265581426/?type=3...
View Article『江戸の夕映え』
1954年、松竹京都の時代劇だが、原作は大佛次郎、脚本久板栄次郎、監督は中村登である。 幕末の江戸の旗本の若者の市川海老蔵と尾上松緑、いずれも先代である。 海老蔵の叔父も、先代左団次で、今の左団次とは違い優男の二枚目で、謹厳実直で囲碁が趣味。 若者二人は鳥羽伏見には参加したが敗れて江戸に戻り、彰義隊には加わらず、海老蔵は榎本武揚の函館に行く。...
View Articleなぜ醜い顔の連中がテレビに出てくるようになったのか
最近、テレビを見ていると、芸がないとか、下品とかいう以前に、顔自体が醜い連中がテレビに出ている。 なんとかジュニア、小藪なんとか、松本というのもよく見ると醜い顔であり、ひげ面は不快そのものである。 私の知合いは、春日なんとかの顔が嫌いだと言っていたが、まあそうだろう。 その点、明石家さんまは、なんといっても芸があり、いやらしさは感じられない。...
View Article『極楽島物語』
1957年の東宝で公開された宝塚映画。原作は菊田一夫、監督は佐伯幸三、撮影は岡崎宏三で、カラー・スタンダードサイズ。 日本でも各社がシネスコになるのは、この年夏ごろからである。 始まってタイ舞踊のような踊りが披露されるが、タイトルがない。下村健さんによれば、これはプリント原版で、これにオプチカル処理をしてタイトルを入れたもので、そのオプチカル処理前の版だろうとのこと。...
View Article深水三章、死去
朝刊に、俳優の深水三章が死んだことが出ていた。70歳。私とほぼ同じなのだ。 彼は、ミスター・スリム・カンパニーを主催し、そこは結構人気のある劇団だった。 日活ロマンポルノにも出ていたほか、テレビにも出ていて、女優の萩尾みどりと結婚していた時期もあった。 喪主となっている兄は、深水龍作なのだろうか、彼も俳優をやっていたはずだが。...
View Article正月番組は大嫌いで、だからなるべく家にいないようにしています
正月番組は大嫌いで、なるべく見ないため家にいないようにしています。 二流芸人の、つまらないお遊びを見せられるのが嫌なのです。 正月は、前年の番組で評価の良かったものを再放送すれば良いと思う。 何も特別番組を作る必要はないと思うのです。
View Article『昭和芸人七人の最期』 笹山敬輔(文春文庫)
七人の芸人とは、榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー・谷である。 エノケン、ロッパ、エンタツらについては、ほとんど知っていたことばかりだが、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー・谷については初めて知ったことも多くあった。...
View Articleやはり、間違っているのではないか 安部晋三年頭記者会見
一昨日の午後、NHKを見ていたら急に安倍首相の記者会見になった。 例によって大げさな表現で無内容な台詞の羅列だったが、憲法改正については根本的に間違っているように感じた。 彼は、憲法を「国のあるべき姿、理想の姿・・・」の定めと言っていたが間違いである。 憲法は、もともとは国民が権力(国家)の力を抑制するための最低限の事柄を決めたもので、国の理想像ではない。...
View Article『戦場にかける橋』
フィルムセンターの新年は、ソニーピクチャーズ特集で、『戦場にかける橋』を見る。 これを見るのは3度目で、最初は、私の一番上の姉が1958年に結婚し、その新居に私の兄などと遊びに行ったとき、白楽の映画館に連れて行ってくれた。 超満員で私はどうにか椅子に座って見たが、最期に機関車が爆破された橋から落下すること以外何も憶えていない。 二度目は、数年前にテレビで、見たがあまり強い記憶にない。...
View Article帯状疱疹になって
左足の付け根に発疹が出て、腰や筋肉に張りも出てきたのは、6日頃だった。これは、1月1日にバス旅行に行き、一日座席に押し付けられていて、さらに少し歩いたことの性だと思っていた。 でも、少し長引くので、近所の医者に行く。初めてだったが、なんと受付に3月30日で閉院すると書いてある。 「こりゃだめだ」と思い、中も相当に汚れていてお世辞にも綺麗とは言えない室内だった。...
View Article砂川捨丸が抜けていた 『昭和芸人七人の最期』
笹山敬輔の『昭和芸人七人の最期』は、よく調べてある非常に良い本だが、一つだけ気になるところがあった。 それは、エンタツ・アチャコに触れて、漫才の歴史について記述しているとことである。 近代の漫才の初めを玉子屋円辰にしているのは良いが、砂川捨丸について一切触れていないのは、どうかなと思った。...
View Article「映画監督・小林正樹」 小笠原清・梶山弘子 岩波書店
小林正樹は、新藤兼人と並んで、私は苦手な監督である。理由は簡単で、すごいとは思うが、まじめすぎて息をつくところがなく疲れてしまうからだ。...
View Article『蛇娘と白髪魔』
港南中央のTSUTAYAに行くと、あった。題名からみて、新東宝だと思うと大映だった。 監督はもちろん湯浅憲明で、脚本は長谷川公之、なぜこんな古臭い映画が作られたかといえば、原作が楳図かずおで、人気だったからだろう。...
View Article1902年1月には 『ドキュメンタリー八甲田山』
今週の月曜は横浜でも大雪だったが、1902年1月、明治35年には、八甲田山雪中行軍遭難事件が起きている。 新田次郎の小説を基に、森谷司郎が『八甲田山』として映画化し、大ヒットして有名になった。 これは、その事件を記録映画的に作ったもので、日本とイタリアの合作だった。...
View Article「相撲は演劇である」 『ミュージック・マガジン・2月号』に書きました
昨年の新国立劇場の「日本の演劇の力」シリーズについて以来、久しぶりに雑誌『ミュージック・マガジン2月号』の「ポイント・ オブ・ビュー」(183頁)に、今話題の大相撲について、書きました。 その趣旨は、相撲は神事でもスポーツでもなく、演劇だというものです。 これは、かの折口信夫先生の言葉で、相撲の根底は、「神と精霊との戦い」があり、農作を予祝する行事であるとしている。...
View Article『八甲田山』
ドキュメンタリーの『八甲田山』を見たので、森谷司郎監督のも港南中央のTSUTAYAにあったので、見てみた。 1977年頃に見ているはずだが、ノートにはないので、いつかは分からない。 ただ、見ていたのは間違いなく、市会事務局の先輩の方とこの映画について話したことがあるからだ。 それは、Sさんという、多分40歳くらいの独身の方で、常任委員会の担当書記で、彼に連れられて委員会の視察に行った時のことだ。...
View Article西部邁、死去
西部邁氏が、死去された。 勿論、政治思想的には同意できないが、私は異端の孤立している人が好きなので、結構好意的に見ていて、MXテレビの『西部ゼミナール』は毎週見ていた。 自殺とは驚いたが、やはり中村とうようさんのように純粋な人だったのだろうか。 ご冥福をお祈りしたい。
View Article沢島忠、死去
沢島忠、死去、92歳。 東映の全盛時代、京都で数多くの時代劇映画を作った沢島忠監督が亡くなられた。 ともかくどれもが面白い作品で、キネマ旬報ベストテンに入るような作品は1本もないが、沢島忠を日本映画史に残る名監督と言って間違いないだろと思う。 時代劇ミュージカルなどという信じがたい作品を易々と作ってしまった才人である。...
View Article恵方参りの方が、初詣よりも歴史がある
寒い寒いと言っているが、今週末は節分で、節分と言えば、今や日本全国恵方巻らしい。 「恵方巻など昔からはない、コンビニの陰謀だ」とも言われている。 確かに節分に恵方巻を食べるのは、東日本ではなかった習慣だったと思う。代わりにあったのは、ちらし寿司を食べる習慣だったと記憶する。 ただ、恵方という考え方は江戸時代からあり、正月には近所の恵方の神社仏閣にお参りをするというのが、江戸庶民の正月の習慣だった。...
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