全国の都市で一番映画の舞台になっているのは東京で、横浜も多いが、川崎も結構ある。
戦前の名作木村荘十二監督の1936年の『兄いもうと』は、川崎の多摩川河原の登戸あたりで、戦後の成瀬巳喜男、今井正のリメイクももちろん、登戸付近である。戦前の木村作品が戦後の2作品と大きく異なる点は、土木作業員、川人足たちが、みな裸で褌姿であることで、これはプロキノのメンバーだった木村たちの肉体労働者の表現の象徴なのだと思う。戦前のプロレタリア小説の労働者は、旋盤工だったそうだが、土木作業員は、褌なのだと思われ、親分の小杉義男だけはパッチで尻が裸ではない。
戦時中だが、千葉泰樹監督の1940年の『煉瓦女工』の主な舞台は、横浜の生麦だが、一部川崎も入っていると思われる。この映画の主人公は矢口陽子で、後に黒澤明と結婚する女優である。
戦後の作品では、はっきりとはわからないが、小林正樹の1954年の『この広い空のどこかに』の乾物屋が川崎のように見える。
はっきりと川崎が舞台とわかるのは、大島渚の監督デビュー作の1959年の『愛と希望の街』で、主人公の少年は、金持ちの女子高生の富永ユキに、川崎駅前で鳩を売る。まだ、京浜急行は高架になっておらず、長い踏切が見え、また川崎市電が止まっているのも遠くに見える。
1968年の日活の樋口弘美監督の『娘の季節』は、川崎の臨港バスの運転手杉良太郎と車掌松原智恵子の話で、ここには川崎の向ヶ丘遊園地での組合主催のハイキングという、なんとも民青的なイベントも出てくる。
深作欣二の「与太者シリーズ」や、日活の「関東シリーズ」にも川崎を舞台にした作品があったはずだ。
川崎と言えば、やはり労働者の町で、恩地日出夫監督の1968年『めぐりあい』では、黒沢年男と酒井和歌子が共に川崎の会社で働いていたはずだ。また、森谷司郎監督の1968年の『兄貴の恋人』でも、酒井和歌子の家は川崎の工場地帯のスナックだったと思う。
また、超有名な映画、黒澤明の『生きる』の志村喬が市民課長をしているのは川崎市で、あそこに出てくる市役所は、当時の川崎市役所の内部をスケッチしてセットにしたものである。