「公明党も堕落したな」
「公明党も堕落したな」と言ったのは、1984年春の統一地方選挙の時、大久保英太郎横浜市会議長が言った言葉である。 大久保氏は、社会党でありながら、横浜市会議長を4年も務めた方で、私は最後の半年間、公的秘書としてお付き合いした。 非常に頭の良い方で、挨拶など、話の非常に上手い方でもあった。...
View Article葬式の葬式
安部晋三元首相の国葬で、賛否があったが、これを見て思うのは、葬式自体が終わりになりつつあるとのことだ。 昔は、本当に葬式は盛んで、私がいた横浜市役所でも、いろいろなところから訃報が来て、必ず出たものだ。 だが、退職した現在、ほとんどこうした訃報は来ないし、また来ても「家族で営みましたので・・・」が多く、行くことはない。...
View Article葬式がなくなって困った人は
葬式、特に自宅や町内会会等でやる葬式がなくなって困ったのは、和菓子屋さんです。 昔、区の保健所にいたとき、和菓子屋さんが言っていました。 「葬式饅頭、さらに建前で撒く餅は儲かったんだけどねえ」 葬式饅頭、小判形で異常にデカイ饅頭をもらったものだが、それは今はもうない。 建前の餅捲きも必ずあったもので、建前だと言うと、子供たちは見に行ったものだ。...
View Articleプロレス好きのTさん
大学の劇団には、いろいろな人がいたが、中でもっともユニークなのはTさんだった。 子供の時は、「美少年」だったので、雑誌の表紙にでたこともあると言う人だったが、劇団ではずっと大道具で、私もいろいろと教えてもらった。 4年できちんと商学部を出たのだが、普通の就職はせず、町の印刷工場の職員、まあ言えば工員になった。 他の兄姉は、普通のサラリーマンとのことで、相当に変わった方だった。...
View Article「われわれは、ヤクザな仕事だから」
私が、横浜市役所に入って数年後に聞いた、非常に驚いた言葉の一つである。 市役所がヤクザなら、世の中はヤクザでないところはなくなるのではないか。 これを言ったのは、S課長で、明治大学出身で、最後は某区の区長になった方である。 もっとも、市会事務局は、議員さんが絶対で、彼らの言うことがいつも正しい、ヤクザ映画のごとき世界だったのだが。...
View Article明治大学が出てくる映画は 『女体』である
1970年代の横浜市役所は、市長の飛鳥田一雄氏が、明治大学だったので、明治出は、出世すると言われていたが、そうでもなかったようだ。 たぶん、局・区長で一番多かったのは、横浜市大と横浜国大だと思う。 そんなことはどうでも良いのだが、明治大学記念館が出てくる映画があった。 増村保造監督、浅丘ルリ子主演の『女体』である。...
View Article『2.26』
言うまでもなく、1936年2月に起こった日本の歴史上最大で、最後のクーデターである。 秦郁彦先生によれば、 「日本には、2.26事件産業があり、毎年2月頃になると新資料が出てくる」とされていたが、90近く前なので、さすがに近年はもうないようだ。...
View Article『悪い奴ほどよく眠る』
黒澤明生誕100年とのことで作られた作品。 映画を最初に見たのは、高校3年のとき、渋谷のテアトルハイツで、岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』と2本立てだったと思う。 ここは、東宝系の名画座で、音と映像が良いので有名だった。渋谷の百軒店で、ここにはテアトルSSというストリップ劇場もあったが、すぐにピンク映画になった。...
View Article映画版とテレビ版の違い
『悪い奴ほどよく眠る』の映画版とテレビ版との違いについて書く。 一番の大きな違いは、主人公の三船敏郎、テレビでは村上弘明が結婚する公団総裁森雅之、テレビでは中野誠也の家族である。 映画では、香川京子の兄は三橋達也だが、テレビでは岩井なおみの姉がとよた真帆で、村上とも関係があったとされていて、さらにとよたは、父親の中野とも関係があったとなっていた。 この辺は、時代の差だろうか。...
View Article吉井を見たことがある
元近鉄の投手だった吉井理人が、ロッテの監督になると言うが、彼を一度見たことがある。 それは、宝町の国立映画アーカイブの入口でだった。 何か忘れたが、2階のホールで映画を見て終わり、下に降りると入口に背の高い男がいた。 どこかで見た男だなと思うと吉井だった。...
View Article運動会でのできごと
朝、ゴミを出しに行くと、前の日枝小学校で運動会をやっている。 小学校の運動会については、やや苦い思い出がある。 徒競走でビリになった、と言うようなことではない。 6年生の時に、会場のアナウンスをさせられたことだ。 なぜか、私は、もう一人の女の子と選ばれて当日のアナウンサーにされたのだ。 選んだのは、Aと言う教師で、多分学年主任だったのだと思う。...
View Article幼稚園の運動会だった
日枝小学校の運動会と書いたが、お三の宮幼稚園の運動会だった。 音が大きくないなあと思うと、幼稚園だった。 見ると60人ほどで、まあこんなものなのだろう。 私は、幼稚園に行っていないが、私の時代、幼稚園に行っていた者は、10人くらいだったと思う。 兄弟でも、上の姉達2人は、昭和初期の平和な時代だったので、行っているが、その後の兄と三女は、...
View Article58年前の今日は
1964年10月10日は、東京オリンピックの開会式が行なわれたときです。 私は、高校2年で、この日は、学校は休みだったと思う。 この前に、都立高校では、オリンピックの試合の券の抽選がクラスで行われていました。 全校で、各競技毎に何枚とあって、クラスで抽選したのです。...
View Articleたった一つ良かったことは
ウクライナへのロシアの攻撃は、依然と続いていて、ロシアへの国際的な批難は高まるばかりだ。 さて、この問題で、一つだけ良いことがあった。 それは、中国の台湾への攻撃が不可能になっただろう。 1950年代に、中国は「台湾解放」を掲げて、金門、馬祖島へのミサイル攻撃を繰り返した。 だが、大したことにはならず、台湾は依然として台湾である。...
View Article『浜辺のアインシュタイン』
これは、1992年に東品川にできたアート・スフィアのオープニング公演の一つとして行なわれもので、私は雑誌『ミュージック・マガジン』で酷評させてもらった。 その理由は、つまらなかったからで、今回も同じだった。 当初、これはKAAtの公演だと思い、5階の劇場入口に行くと 「これは違います、県民ホールです」と言われ、神奈川県民ホールに行く。...
View Articleアントニオ猪木の墓は 本門寺だろうか
昨日は、池上本門寺のお会式だったはず。 このところ、まったく行っていないが、池上の子供にとって、一年で一番に心躍る日だった。 なにしろ、池上小学校は、この日は休みだったのだ。 お寺の祭式で、公立学校が休日というのは、全国でもそうはないことだったようだが、今はどうだろうか。 さて、先日、プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなったが、その墓はどこになるのだろうか。...
View ArticleV9時代の江夏を思い出した
ヤクルト・阪神戦の三戦目は、エースの青柳が一人で頑張って投げていた。 それは、まるで、V9時代の巨人に対して孤独に投げている江夏のようだった。 選手全員で戦ってくるヤクルトに対し、青柳は一人戦っていて、3・ゼロだった。 だが、7回裏に2死満塁で、マルテのエラーで1点差に迫られた時、 投手交代になったのは、仕方ないだろうと思う。 ただ、これが浜地なのだ。...
View Article江戸時代も聟社長だった
テレビで、「聟社長」が優れていることが特集されていたが、実は日本の江戸時代、富家の跡継ぎは婿が多かったのだ。 それは、歌舞伎をみれば分かる。 大きな商店等でも、次代は、息子ではなく、優秀な手代、番頭の中から婿を選んで、娘と結婚させるのだ。 男の子がいる場合は、家を継がせるのではなく、別の家に行かせて結婚させて、別の新たな関係を増やすのだ。...
View Article『ミーテイング・ザ・ビートルズ・イン・インディア』
初めて行く映画館だったので、不安で渋谷からバスで行こうかとも思ったが、歩くと意外に近かった。 渋谷のメトロビルの隣ではないか。 1968年、ビートルズの4人は、インドに行く。 彼らの前に、女優のミア・ファーローもインドに行き、瞑想をしていたのだ。 「本当なの」と思ったのは、この話を聞いたときだった。 だが、彼らは本気だったことが、この映画を見るとよく分かる。...
View Article『妻あり子あり友ありて』
1961年の松竹京都作品、監督井上梅次、脚本は八住利雄で、原作は樫原一郎。 大正15年3月、警察官になるため、鹿児島の大木実と福島の佐田啓二が上京してくるところから始まる。...
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