『日本侠客伝』
1964年8月、東映のヤクザ映画の始まりの一つである。 監督は言うまでもなくマキノ雅弘、主演は高倉健で、当初は中村錦之助だったが、都合で高倉に代わった作品。 東京木場のヤクザの木場政組の話で、彼らはヤクザの本業である、木場での口入れ稼業をやっている。...
View Article『鬼龍院花子の生涯』
こんな面白い映画とは知らなかった。夏目雅子は。テレビで、小達雅子時代の演技を見ていて、あまりにひどいので、見ないことにしていたのだ。 明治の高知のヤクザというか、女衒のような男・鬼龍院政五郎(仲代達矢)の話で、非常に面白い。 この男、また周囲の男も、女たちも皆矛盾だらけの人間なのだ。...
View Article体験的ヤクザ映画論
私が一番に映画を見た1960年代は、ヤクザ映画の全盛時代で、言うまでもなく、東映の全盛時代だった。 最初に見たヤクザ映画は、高校3年の時で、鶴田浩二の『大陸流れ者』だったと思う。 評判の良くない作品だったが、この頃よく上映されていたのは、北島三郎や村田英雄のヤクザ映画で、今見るとひどいが、よく上映されていたのは、意外にも人気があったのだと思う。...
View Article『ロスト・ラブ あぶら地獄』
内田あかりのヒット曲『浮世絵の町』を基にした日活作品、途中まで見ていて普通の映画だなと思うと、ロマンポルノではなく、一般映画として作られ公開されたのだという。 監督は小沼勝で、いつもの猟奇的な作風ではなく、青春映画的である。 砂塚秀夫が率いる歌謡曲の地方廻りの一座が、雪深い新潟の町に来る。...
View Article富川、田島、そして若松政雄
昨日書いた『ロスト・ラブ』には、その後出なくなった二人が出ている。 富川澈夫と田島和子である。二人とも六月劇場の関係で、富川は東宝に、田島は、テレビの「11PM」にも出ていたので憶えている方も多いと思う。 彼女は、美人だったが、草野大悟と結婚して引退した。まさに美女と野獣だった。 若松正雄は、誰というと、この映画の美術で、後に根本悌二の後を受けて、日活の社長になった人だ。...
View Article富川、田島、そして若松正雄
昨日書いた『ロスト・ラブ』には、その後出なくなった二人が出ている。 富川澈夫と田島和子である。二人とも六月劇場の関係で、富川は東宝に、田島は、テレビの「11PM」にも出ていたので憶えている方も多いと思う。 彼女は、美人だったが、草野大悟と結婚して引退した。まさに美女と野獣だった。 若松正雄は、誰というと、この映画の美術で、後に根本悌二の後を受けて、日活の社長になった人だ。...
View Article『首都消失』
1987年の東宝特撮映画、監督は舛田利雄、主演は渡瀬恒彦と名取裕子。 ある日突然、東京が謎の雲に覆われて、外部から一切連絡ができなくなる。 名取は、テレビのレポーターで、関西地区で活躍していて、そのテレビ局は、関西テレビで、局幹部が財津一郎で、そのはしゃぎぶりが面白い。...
View Article照ノ富士、負ける
横浜稲門会の伝統文化鑑賞会で、大相撲9月場所2日目に行く。 1時過ぎだったので、幕下中盤で、後ろから二番目で朝乃山が出てくる。 まだ、髷を結っていない学生上がりの川副をひねり潰すように押して勝つ。 学生とプロは違うところを見せつける。 十両では、徳勝龍が出ている。去年は、幕内のビリで優勝したのだが、今は十両である。...
View Articleイギリスチームもしたナチス式敬礼
カラーで見る大英帝国の3シリーズで、一番興味深かったのは、1938年12月にベルリンで行なわれたドイツとイギリスのサッカーの試合の開会のこと。 このとき、イギリスのチームは、開会式のドイツ国歌の時、ヒトラーに向かいってナチス式敬礼をしているのだ。...
View Article『名シーンでつるるなつかしの映画歌謡史』
1974年の松竹映画、30分ほどのものだが、こういう映画は、2番館以下は、すでに3本立てだったので、需要があったのだ。そうした館では、ピンク映画を付けることも多かったのだから。 監修は、東大を出て、晩年の小津安二郎の助監督もやった田中康義氏で、なんどか小津安二郎ネットワークでお話したこともあるが、温厚で真面目な方だった。 田中さんには申し訳ないが、ここには間違いもある。...
View Article『実録エロごと師・巡業花電車』
阪神・ヤクルト戦を見ていて、藤浪、中野のエラーでの失点1点を回復できずに負けたので、日活ロマンポルノの『実録エロごと師・巡業花電車』を見る。 これは、初回に、ノーアウト1,2塁になったのに、3番の近本にバントをさせて2,3塁にしなかったのが間違いだったと思う。一回からバントはないと普通は思うが、現在は通常のゲームではなく、日本シリーズのような戦いなので、「まずは先取点だった」と思うのだ。...
View Article『パイナップル部隊』
長い間見たいと思っていた映画を見るのは、うれしいが、「こんな程度なの」というのもあり、これはそうしたものの一本だった。 1951年、朝鮮戦争の国連軍に参加するため、ハワイの日系人の若者が召集されて訓練を受ける。 主人公の杉浦直樹、ミッキー安川、マイク佐野など。10週間の訓練の後、日本に来る。 立川基地で、そこでまず東京に遊びに行く。...
View Articleタイトルにあるが、出演がない映画
前の『パイナップル部隊』では、巨人の宮本敏雄の名がタイトルにはあったが、登場はなかったことを書いたが、こうした例は、1960年代頃はよくあった。 今井正の映画『ここに泉あり』では、草笛光子がピアニストとしてタイトルにあるが、映像にはない。...
View Article宮本敏雄について
先日見た『パイナップル部隊』のタイトルには、宮本敏雄の名があった。 1950年代末に、巨人の打者でライトを守っていて、打点王も取っていた。 三振かホームラン下の、荒い打者で、三振すると、その笑顔がよかった。 彼は、エンディー宮本の愛称で親しまれていて、私が最初に好きになったプロ野球選手だった。...
View Article村田元投手が逮捕
村田の右腕の強さは、尋常ではないと思う。 昔、早稲田大学での学費・学館闘争の時、ある場所で、スト派の学生達がピケを張っていた。 その時、相撲部の連中が来て、 「どけよ!」と一押した。 すると、学生のピケの10人くらいが、一挙に倒れたとのことだ。 学生とはいえ、本当の相撲取りの力は、すごいのである。 たしか、ボクサーは、素手でも凶器とされるはずである。 村田の右腕も、凶器とされるに違いないと思う。...
View Articleヤクルトの強さは・・・1960年のオリオンズ以来ではないかと思う
昨夜、ヤクルトが、サヨナラ勝ちで、横浜に勝ち、セ・リーグの優勝を決めた。 次に、CSシリーズもあるが、どこが出てきても、まずヤクルトの勝ちは揺るがないだろう。 ヤクルトの強さは、言うまでもなく、村上、山田の左右の強打者を揃えていることだが、前後の塩見、中村、そして外人もよく働いている。 その強さを考えると、9連覇時代の巨人で、これも王、長嶋の左右の強打者がいた。...
View Article大衆芸能の変遷から見る「国葬」
「国葬」は、賛否あったが、無事終わったようだ。 近代以降の日本の大衆芸能史から、現在の政治状況と「国葬」を考えてみる。 日本の大衆芸能で一番人気があったのは、浪花節、浪曲である。それは、戦前、戦中、戦後の1950年代まで続いていた。 いかに、浪曲が人気があったかは、俳優の加東大介の戦時中の実話、『南の島に雪が降る』をニューギニアでやるとき、参加者を募集すると、...
View Article『鯨神』
巨大な鯨と戦う男達の映画で、今では絶対に作れない作品である。 鯨と言うと、結構感情的になる人が多いが、私は別にそうではない。 鯨の竜田揚げの給食も食べたことはないので、美味しかったという記憶もない。...
View Article「大津事件」の映画 『鉄砲安の生涯』
NHKの「歴史番組」で、大津事件のことをやっていたが、脇からだが、これを題材とした映画があったことを思い出した。 1962年に大映で作られた勝新太郎が、大津事件でロシア皇太子を暴漢から助けた人力車夫安太郎を演じる。安太郎は、無知蒙昧な酒浸りの乱暴者だったが、ニコライ皇太子を襲った警官の津田三蔵を偶然に偶然に取り押さえたことから起きる波乱の生涯。...
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