安部晋三元首相の国葬で、賛否があったが、これを見て思うのは、葬式自体が終わりになりつつあるとのことだ。
昔は、本当に葬式は盛んで、私がいた横浜市役所でも、いろいろなところから訃報が来て、必ず出たものだ。
だが、退職した現在、ほとんどこうした訃報は来ないし、また来ても「家族で営みましたので・・・」が多く、行くことはない。
昔々、中核派の京大生山崎君が、羽田で死んだ時、中核派は「人民葬」をやって、当時委員長だった秋山勝行が総指揮をした。
このとき、中核派以外のわれわれは、
「葬式の総指揮か!」と笑ったものだ。
いずれにしても、本当の近親者以外まで列席する葬式など、本質的に意味のないものだと私は思う。
人の死は、厳粛なものだが、吉本隆明的に言えば、
「人の死は、個として死に、類として生きる」ことだそうなので、類として生きていけば良いと思うのだ。
今後、葬儀屋さんは、大変だろう。
金子マリさんは、どうしているのだろうかと思う。