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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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58年前の今日は

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1964年10月10日は、東京オリンピックの開会式が行なわれたときです。

                 

私は、高校2年で、この日は、学校は休みだったと思う。

この前に、都立高校では、オリンピックの試合の券の抽選がクラスで行われていました。

全校で、各競技毎に何枚とあって、クラスで抽選したのです。

もちろん、タダではなかったはずですが、東京中の学校で、オリンピックを国民が挙げて祝おうというムードがあったのです。

去年のインチキオリンピックとは、まったく意味がちがいます。

なぜ、去年のオリンピックが駄目だったかといえば、その出だしの動機が不純だったからです。

3期目の都知事選に出るとき、石原慎太郎が公約がないので、いきなりオリンピック誘致と言い出したことが不純の始まりで、これが現在の「オリンピック汚職」の基になっているのです。

不純なものは、不純な結果を招くということの典型です。

さて、この1964年の東京オリンピックの結果、実は大きな事が起きていました。

それは、映画の不振です。

スポーツの持つ、本物の戦いのリアルなドラマの面白さに、日本国民は興奮するようになってしまい、作り物のドラマに飽きてきたのです。

このことは、1964年の秋、巷でヒットしていた映画は、勝新太郎の『座頭市』とピンク映画だけだったことが、そのことを証明しています。

この後、日本映画はずっと低迷の時代に入るのですが、その原因は、よく言われるテレビの出現ではなく、東京オリンピックの放送だったのです。


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