言うまでもなく、1936年2月に起こった日本の歴史上最大で、最後のクーデターである。
秦郁彦先生によれば、
「日本には、2.26事件産業があり、毎年2月頃になると新資料が出てくる」とされていたが、90近く前なので、さすがに近年はもうないようだ。
監督五社秀雄、脚本笠原和夫で、1989年に公開され、横浜のピカデリーで見たが、ほとんど台詞が聞えなかった。その訳は、当時横浜ピカデリーの屋根は鋼鉄製で、その日は夕立があり、その雨音でほとんど台詞が聞えなかったのだ。
話は、三浦友和らの陸軍の青年将校が、料亭のようなところで決起を決めるところから始まり、重臣を次々と襲う場面が続く。
それは、約30分で終わってしまい、軍事参議官会議が「陸軍大臣告示」になる。
これは、相当に反乱派に阿った告示だったので、彼らは「勝利で、天皇は我々の行為を認めてくれた」と大いに喜ぶ。
だが事実は、まったく逆で、昭和天皇は、「逆賊・・・」としていたのだ。
この辺の考え違いが、彼らの悲劇の原因であるが、それは明治憲法の持っていた矛盾の現れだった。
明治憲法は、近代的な立憲君主制を建前としていたが、内実には、天皇の統帥権に象徴されるような古い精神性、宗教制も持っていたからだ。
そして、彼らの蹶起の背景として、世界的な経済大恐慌からの農村等の不景気が言われ、ここでも出てくるが、それは実は間違いなのだ。
1929年の大恐慌は、日本にも波及したが、日本は1931年の満州事変以後の「事変景気」で不況は脱出していて、むしろ大都市では、エロ・グロ・ナンセンスの好景気の時代になっていたのだから。
戒厳令が出されて、次第に形勢は不利となり、殺害したと思っていた岡田首相も生きていて、内閣は倒れなかった。
そして、「兵に告ぐ、今からでも遅くはない」との奉勅命令となり、原隊に戻ることになる。
首謀者の安藤輝三(三浦友和)と野中四郎(萩原健一)はピストル自殺する。
ここでも、本当の主役である昭和天皇と北一輝は出てこないのは、誠に残念なことだった。
役者では、磯部浅一役の竹中直人が一番面白いが、丹波哲郎の真崎甚三郎は立派すぎて、問題だと思える。
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