ここでも閉店だった
先日、用があって地下鉄の上永谷に行ったら、三菱UFJ銀行上永谷支店が9月で閉店、その後は上大岡支店で引き継ぐとあった。 都市銀行も本当に大変なんだなあと思う。 もっとも、この支店の用は十分に果たしたと思う。...
View Article「サッ、ショウ、ロク」とは
監督志望のある若者が、撮影の現場に出ることになった時、会社の人から、言われたのは、 「サツ、ショウ、ロクに気をつけろ!」で、「必殺シリーズ」かと思ったそうだ。 これは、現場では撮影、照明、録音の連中に気をつけろとの忠告だった。 この3部門は、今では異なるが、それぞれ器具が大きくて重く、肉体労働の現場だったので、気性も荒い男たちだったからだ。...
View Article宮本先生も間違われた 『シェーン』
放送大学の231チャンネルで、映画『シェーン』が放映された。 これは有名な西部劇で、私は川崎のどこかの映画館で見たが、あまり感心しなかった。 『シェーン』と言えば、むしろ雪村いずみの『遙かなる山の呼び声』で、これは大ヒット曲だった。 筋は、西部の農家にシェーンがやってくるところから始まる。...
View Article『らしゃめんお万 彼岸花は散った』
混血歌手サリーメイの『銀髪流れ花』がヒットしたので、作られた日活ロマンポルノ映画。 不思議なのは、『銀蝶・・』が彼女の歌でヒットしたのに、それは東映で作られていて、これは別の名になっていること。...
View Article雪村いずみ
「ひばり、チエミ、いずみ」の三人娘の映画で、最初に見たのは東宝の『ジャンケン娘』で、池上映画劇場だったと思う。 この頃、一番好きだったのは、いずみで、彼女が一番ダサくないと思っていたからだ。 だが、その後、三人娘の歌等を聞いて、まったく変わった。 歌も演技もひばりが最高で、芸人の娘のチエミも凄いが、いずみはほとんど素人だと。...
View Article『黒の奔流』 文学座映画だった
1972年の松竹映画、原作は松本清張、脚本は国広威雄、監督は元新東宝の渡辺佑介。 若手弁護士の山崎努は、偶然引き受けた国選弁護事件の多摩の旅館の女中岡田茉莉子の殺人容疑事件を担当する。 目撃者の証言等は完璧で、有罪と思われたが、新証言の出現で、岡田は無罪となり、検察側は上告を断念したので、一事不再理で、岡田は完全に無罪になる。...
View Article県知事の存在は、そんなものだ
東国原英夫氏が、宮崎県知事選にまた出るそうだ。 タレントとして、面白みが低下してきたので、最後は県知事なのかと思う。 まじめに考える方には、不愉快だろうが、私が思うには、県知事は、その程度の存在だと言うことである。...
View Article『ひまわり』
1970年のイタリア映画だが、アメリカの準メジャーのアブコ・エンバシーも加わっていて、ソ連の中を最初に撮影した西側の映画だったそうだ。 1941年のイタリア、配線工のマルチェロ・マストロヤンニとお針子のソフィア・ローレンが知合って愛し合う。 そして、徴兵を逃れるために二人はすぐに結婚する。...
View Article高橋兄弟の罪と罰
こういう話は本当はしたくないのだが、五輪委員会元理事で、電通にもいて、今回収賄で逮捕された高橋治之は、思った通り、かつてのバブル時代に派手な行為で有名になり、これまた逮捕された高橋治則の兄、つまりこの二人は兄弟だった。 そして、この二人は、あまり言いたくないが、慶応幼稚舎からの慶応ボーイで、いろいろと問題を起こした人間だったようだ。...
View Article8月15日は?
8月15日は、どう考えても敗戦記念日だが、終戦記念日になっている。 だが、世の中には、この敗戦を認めたくない人もいる。 以前、『主戦場』という映画で、私は次のように書いた。...
View Article『東京裁判』
これは、1946年から行なわれた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の記録フィルムを基に、昭和の歴史も交えた記録映画である。監督小林正樹の作品は、私は1本以外、全部見ているが、これが一番面白いと思う。 この東京裁判の記録は、裁判の最中から話題になっていて、 「米軍は湯水のようにフィルムを使って記録しているらしい」と言われていたそうだ。...
View Article小林正樹の今は見られない1本は
私も見ていない小林正樹の映画は、『食卓のない家』である。 これは、小林監督の遺作で、円地文子の原作、連合赤軍事件で被告となった息子と家族の話だそうだ。 このモデルは、吉野雅邦で、都立日比谷高校では音楽部で、私と共にやった「ウォーマッド横浜」の制作・演出の田村光男も、音楽部で一緒だったのだそうだ。...
View Article腰袋について
久しぶりに「タモリクラブ」を見たら、職人の腰袋のことが特集されていた。 電気工、鳶職、コンクリート工などさまざまな職人さんが使う腰袋が出てきて、その人の職業を当てるものだった。 私も、芝居をやっているときは、腰袋を持っていた。私たちは、「ガチ袋」と言っていたが。 ガチというのは、釘のことで、大小の釘を袋に入れておき、舞台のセット設営やばらしのときに使うのである。...
View Article地球の先住民は
先日、部屋にゴキブリが出てきた。月に一度くらいある。 殺虫剤をかけて、新聞紙を丸めて叩いて殺す。 ゴキブリが出てきて、大騒ぎになる映画に、ATG史上最高のヒット作の『もう、頬杖は付かない』があった。 日劇文化に見に行くと満員で入れず、東宝の2本立てで見た。横浜東宝で、である。...
View Article山下埠頭の再開発について
横浜の山下埠頭の再開発について、次の通りに市長と議長に陳情書を出しました。 みなさんのご意見を聞かせてください。 どうぞよろしくお願いいたします。 横浜市大病院を山下埠頭に整備してください...
View Article『トラック野郎・一番星北に帰る』
1979年の東映の正月映画で、シリーズ七作目。 たぶん、このシリーズは一作目も見て、なんて下品なんだろうと思った。 それに、この菅原文太の相手役の愛川欽也のいやらしさ、私は昔から大嫌いだった。 愛川欽也が嫌いという人は多く、死んだ先輩の役者・山本亮もそうで、 「キンキンが出なければ、もっと続いたのに」と言っていた。...
View Article最初の映画も鉄道なのだから
ブログやユーチューブを見ると、かなり鉄道に関するものが多い。 よく考えると、世界で映画の最初のルミエール兄弟の作品は、駅での列車の到着である。 駅に列車が来るだけだが、その迫力に見るものは、逃げ出したとのことだ。 また、劇映画、西部劇の最初もアメリカの『大列車強盗』である。...
View Article『散華の世代からの問い 吉田満の生と死』
敗戦特集で、吉田満の番組が再放送された。彼が亡くなった1年後の1980年に放映されたもの。 吉田の『戦艦大和の最期』は、昔読んで感動したし、新東宝映画も良いできだった。 当時は、まだ戦争の体験者が沢山いたので、きちんとしたものができたのだ。 日本映画界でも、戦争に行かなかった監督は、黒澤明と市川崑くらいで、皆従軍している。...
View Article『点と線』
下の通り、日本映画に多大な貢献をする松本清張の原作の映画化では、6本目である。 そして、これが最初のカラー映画なのだ。これ以前は、モノクロで意外にも地味な感じなのだが、これはカラーで、しかも女優が髙峰三枝子で、かなり大作風に作られている。...
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