昔、私は次のように書いたことがある。
全国高校野球選手権大会が、甲子園で行われているが、甲子園には2度行ったことがある。しかも、仕事でである。横浜市では、市内の高校が甲子園大会で、準決勝くらいに行くと、今はどうか知らないが、市長と議長、さらに担当常任委員会委員長などがチームを激励しに行くことになっていた。なにしろ、高校野球は、高校生の教育の一環として行われるものなので、その場で優秀な成績を上げることは、学校教育上きわめて有意義なことだからだ。私が、議長について行ったのは、横浜商業高校に宮城弘明という長身の投手がいて、全国大会に出た時が最初で、西区選出の議員の鈴木喜一さんの時だった。行って驚いたのは、ともかく広いことで、我々は一応激励、応援なので、いわゆるアルプススタンドの内野席に座る。一塁からはるかに遠くて、投手の球など、何を投げたかはほとんどわからないほどの遠距離。ともかく甲子園は、非常に広く、しかも東京ドームとは正反対にスタンドの傾斜が緩いので、大きな平原でゲームをやっているように感じられる。
だから、それはグランドで実際にゲームをする選手にとっても、同じで、なかなか集中することが難しいだろうと思える。俗に「甲子園常連校」という言葉があるように、甲子園のような異常に広くて、集中しにくい球場では、初出場のような慣れていない高校は、力を発揮することは難しいだろうと思う。次に行ったのは、横浜高校の時で、この時は愛甲猛の活躍で全国優勝したが、どの試合に行ったかは憶えていないが、金沢の中学校で行われた優勝祝賀会には出たことを記憶している。大変な人数で、1,000人くらい来たと思うが、なんと金沢区役所の係長が司会をして金沢区民こぞっての祝賀会だった。横浜だから、その程度だったので、地方の都市で全国優勝したならば、もっとすごいものになるのだろうと思う。
大学時代、東京12チャンネル運動部でアルバイトをしていたが、そこに東洋大学生で、高校時代は若狭高校野球部で、甲子園に行ったという、同学年なのにやけに叔父さんくさい男がいた。
彼曰く、福井県大会で優勝すると、彼の家の前には、高張り提灯が立ち、駅から関西に向けて出るときには、大勢の町民の万歳三唱で送られたと言う。
そして、甲子園では、相手がどこか忘れたが、ある試合で相手の投手が良かったので、まったく打てず、監督の指示で、ユニフォームをダブダブにしてデッドボールを取ってなんとか勝ったと言うのだ。
そして、彼は甲子園出場を経歴に、無試験で東洋大学に入ったのだ。だが、練習が厳しいので、大学の野球部を辞めたと言うのだ。こうした相当に図々しい、世慣れた男でないと甲子園には出られないのかと思ったものだ。
大学2年生の夏のことである。