『さすらいの航海』
1939年5月、ドイツのハンブルグ港からアメリカの客船が出航する。 乗客のほとんどはユダヤ人で、当時次第にひどくなったナチスによるユダヤ人迫害を逃れる900人たちだった。...
View Article小沢一郎説は正しかった
2001年に、小泉純一郎が首相なって、参議院選挙に勝利したとき、小沢一郎は、 「これで自民党は追いつめられた、今後打つ手はない」と言った。 本当かなと思ったが、この間の旧統一教会の問題を見るとき、「自民党は結構追いつめれていたんだな」と思った。 よく、自・公体制と言うが、実は公・自体制であり、地域に自民党の基盤はなく、ほとんど公明党創価学会の組織に頼って来た。...
View Article「24時間テレビ」なんてまだやっているのか
朝、テレビを廻していると、日本テレビは、「24時間テレビ」をやっていて、まだこんなものをやっているのかと思う。 昔、ある人は、見ていて昔のタレントが沢山でているので、「半失業者の救済事業か」と言っていた。 だが、以前富山県の高岡市に行ったとき、駅や繁華街にブースができ手いて、賑わっていた。 地方都市ではそんなものだろうと思う。...
View Article「夏の雨は、馬の背を分く」
私の母は、尋常小学校卒の無学な人だったが、意外な言葉を知っていた。 その一つが、これで、夏の雨は、部分的に降るというものだ。 それを実感したことがある。 早稲田大学では、体育の速成授業というのがあり、体育の単位を取っていない学生に夏休みに、集中的授業をやって単位を取らせるのだ。...
View Articleコガネムシが生きていた
夜、用があったので廊下に出るとコガネムシがいた。 先週の土曜に最初に見たのだが、まだ生きていたことになる。 蝉がいるのは年に1度くらいあるが、コガネムシは珍しい。 近くには蒔田公園があるので、そこから飛んで来るのだろうか。 意外にも生息範囲は広いものだと思う。
View Articleもう一つの公衆浴場
横浜ミストリーで、横浜の公衆浴場、銭湯が特集されていた。 今も結構ある。 特に、神奈川、鶴見、南、磯子等に多く、要は工場地帯にあるのだ。 工場で、働いた後、銭湯で汗を流すのは当然のことだった。 昔、1950年代、そうした若者は、仕事が終わるとまず銭湯に行き、その後町の食堂で夕食を取った後、貸本屋で本を借りて家に帰って寝ると言うものだったようだ。...
View Article渋谷から相鉄廻りで戻る
12月に出す予定の本について、渋谷で打ち合せのために行く。 渋谷駅は、相変わらずの改装中で、なんと山手線から改札を出るまでに5分かかる。 安藤忠雄の設計は、いつも最悪である。 打ち合せの桜ヶ丘側に出るのも大変で、一度東急プラザビルに行ってから廻っていく。 桜が丘もビルが建設中で、かのマックスロードもなくなっている。...
View Article父が体験した関東大震災
昨日、9月1日は、99年前の1923年に関東大震災が起きた日である。この日、私の父は、22歳で大田区の蒲田新宿小学校の教師だった。 このの卒業生には、女優の髙峰秀子がいる。 以前、私は次のように書いた。...
View Article米騒動で起きたこと
NHK総合の『歴史探偵』なる番組で、『米騒動」を扱っていた。 1917年夏に富山で起き、全国に波及した米騒動は、近代史に大きな影響を与えた事件だった。 陸軍の出動と戒厳令でやっと収まり、寺内内閣が倒れた事件で、その後にできたことは、三つある。...
View Article『波の塔』
1960年の映画だが、今見るとびっくりするところが多々ある。 まず、上諏訪に国の通産省だと思うが、局長二本柳寛の娘桑野みゆきが駅から出てくると、県の局長以下が出迎えて、旅館に案内する。 こんなことがあったのだろうか、信じがたい。 局長から頼まれたと言っているが、ひどい公私混同であり、職権乱用である。...
View Article『砂の器』を見る
私は、この映画をさして優れた作品とは思っていない。しかし、久しぶりに見て、面白かった。 それは、多くの役者が出てくるからである。 たとえば、銀座のクラブのマダムとして出てくるのが村松英子で、そこの女が夏純子という具合。...
View Article地域分りと組織分り
区内を歩いていると、来年の地方選挙のポスターが貼られている。 南区は、県会議員は一人だが、市会議員は、自民党は2人なので、票を割っていると思う。 たぶん、地域毎に、この人は、この町内会、あの人は、この町内会という具合だと思う。 自民党は、複数の候補がいても地域分りなので、簡単である。 だが、かつての社会党、現在の民主系だと、ことは複雑になる。...
View Article森川時久、死去
森川時久が死んだそうだ。 「フジテレビで・・・」と書かれていて間違いではないが、彼にはその前の前歴がある。 それは、劇団ムーランルージュにいたことである。 彼は、大卒後、新宿にあったムーランルージュに入り、演出家として活動を始めていたのだ。 要は、1950年代にテレビが始まった時、他の分野から移って来た人が沢山いた。 それは、演劇界もあったが、その一人が、森川氏だったのだ。...
View Article森川時久、死去
森川時久が死んだそうだ。 「フジテレビで・・・」と書かれていて間違いではないが、彼にはその前の前歴がある。 それは、劇団ムーランルージュにいたことである。 彼は、大卒後、新宿にあったムーランルージュに入り、演出家として活動を始めていたのだ。 要は、1950年代にテレビが始まった時、他の分野から移って来た人が沢山いた。 それは、演劇界もあったが、その一人が、森川氏だったのだ。...
View Articleおおたかしずる、死去
彼女の歌を実際に聴いたのは、1993年である。 この年の夏、パシフィコ横浜のプラザで、 「ウォーマッド・コンサート・プラザ」というイベントが行なわれた。 この年は、ウォーマッド横浜を開催することは、予算的に無理だとのことで、 田村光男が、パシフィコ横浜のプラザで、フリーのコンサートをしたのだ。 たぶん、ほとんど田村の会社の「手うち」イベントだったと思う。 彼の意地だったと思う。...
View Article森喜郎の銅像計画
森元首相の銅像を建てる計画があるとのこと。 バカバカしいとしか言いようがない。 だが、俗に三欲、性欲、物欲、性欲と言われるが、これは死んだら終わりだ。 ただ一つ、死んでも残るのがあり、これが名誉欲で、勲章などだが、銅像もそうだろう。 たしか、原健三郎も、建てたはずだ。 横浜市議会でも、銅像の授与があり、議長を務めた方に贈呈される。...
View Article『雁』と日本ATG
録画しておいた豊田四郎監督の『雁』を見る。たぶん、5,6回目だが、やはりすごいと思う。 髙峰秀子と東野英治郎の演技合戦がすごい。豊田四郎は、あまり評価されないが、私はすごいと思っている。 その視線の動かし方で、すべての感情を表現してしまうのは、成瀬巳喜男とも似ているが、共に松竹蒲田出である。...
View Article横浜市会の葬式
安部晋三元首相の「国葬」が問題となっているが、横浜市会でも「市会葬」があった。 1970年代は、任期3期以上あるいは、議長、副議長経験者が対象だったと思う。 最初に経験したのは、南区の自民党の中堅議員谷田部巳三郎氏だったと思う。 谷田部氏は、自民党のベテラン議員だったが、南区の中学校で行なわれたそれは、あまり大したものではなかったと記憶している。...
View Article一番立派だった葬式
私が経験した一番立派だった葬式は、川口正英議長の母親が亡くなった時のものだった。 川口家は、瀬谷の名家で、幕末から明治期に生糸で富を得た家だった。さらに、明治後半にはそれを不動産に変えていて、中華街や山下町にも土地を持っていた。 家は、相鉄の瀬谷駅から、ご自宅まで、他人の土地を歩かずに行けるとという話しだった。...
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