私が一番に映画を見た1960年代は、ヤクザ映画の全盛時代で、言うまでもなく、東映の全盛時代だった。
最初に見たヤクザ映画は、高校3年の時で、鶴田浩二の『大陸流れ者』だったと思う。
評判の良くない作品だったが、この頃よく上映されていたのは、北島三郎や村田英雄のヤクザ映画で、今見るとひどいが、よく上映されていたのは、意外にも人気があったのだと思う。
加藤泰の『三代目襲名』と山下耕作の『総長賭博』は、大学の時にすぐ見たが、さすがだと思ったが、好きだったのは加藤泰の方で、この頃にほとんど見たと思う。
沢島忠監督の『人生劇場・飛車角』は、なかなか上映されない作品で、見たのは、1970年代で川崎の銀星座だったと思う。ここは、映画好きには結構有名な館で、田中小実昌さんも来ていたようだ。
『人生劇場・飛車角』の印象は、「多くのヤクザ映画と随分と違うな」という感じで、鶴田浩二のニヒルズムを一番感じたと思う。
もちろん、当時は日活の『男の紋章』や、大映の『女賭博師』もあったが、東映のそれにははるかに及ばないと思っていたが、今見るとそうでもないのだが。
やはり、東映の藤純子、鶴田浩二、高倉健が最高だった。
今考えてみると、1960年代後のヤクザ映画は、アクションと人情で、やはりマキノ雅弘の影響は大きかったと思う。
その点では、沢島忠監督は、『人生劇場・飛車角』で、その最初を作ったが、後の作品にはあまり影響は与えていないのではと言うのが私の考えである。