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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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横浜市会の葬式

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安部晋三元首相の「国葬」が問題となっているが、横浜市会でも「市会葬」があった。

                   

1970年代は、任期3期以上あるいは、議長、副議長経験者が対象だったと思う。

最初に経験したのは、南区の自民党の中堅議員谷田部巳三郎氏だったと思う。

谷田部氏は、自民党のベテラン議員だったが、南区の中学校で行なわれたそれは、あまり大したものではなかったと記憶している。

彼は、横浜で、睦タクシーやガソリンスタンド、不動産会社等を持っている資産家だったが、自民では反主流派だった。それは、昭和38年の市長選挙の時に、自民党の決定に反して、半井清前市長を支持した人だったからだ。このとき、自民党は、前助役の田中省吾氏を市長候補にしたが、前市長の半井氏も出た。

この保守分裂で、社会党の飛鳥田市長が生まれたのだ。だから、半井支持派は、自民党を除名されたが、谷田部氏もそうだった。

後に、私は港湾局の管財係長になり、新興埠頭の一文字地区に、谷田部という非港湾企業の土地があるので、不信に思ったことがある。これは、半井氏が、市長選挙に出るとき、選挙資金がないので、港湾局に急遽一文字を埋立させて企業に売却した。その際に、代金をピンハネして選挙資金にしたのだった。

谷田部氏は、磯子区に住んでいて、雨の日に、自宅の下の崖崩れを見に行って転落したのだそうだ。

今は、ニックハイムのマンションが建っているあたりである。

次は、社会党で初めて副議長になった鶴見区の大島氏だった。課長、係長と鶴見の自宅に行くと、奥さんはなんとも迷惑という感じだった。「そんなものやらなくて良い」という態度なのだ。

帰りの車で課長から聞いたのは、大島氏は、自宅ではなく若い愛人に家で死んでいて、この頃は自宅にはほとんどいなかったとのことだ。

どこでも偉くなり、地位を得ると、糟糠の妻をないがしろにするのは良くあることだが、これもそうだったのだ。それは、社会党の議員でも同じなのだった。

 

 

 


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