『東洋の魔女』
『東洋の魔女』は、言うまでもなく1964年の東京オリンピックの女子バレーボールでソ連に勝ち、優勝した日紡貝塚を中心メンバーとしたチームのことで、その80代になった女性たちの姿を捉えたドキュメンタリーである。 冒頭に彼女たちの食事会の様子が出てくるが、それは亡くなった谷田絹子の午餐のようだ。...
View Article「孫」「ペット」「病気」の話はしない
昨日の朝日新聞の投稿欄で、同窓会のことが書いてあり、そこの禁句があった。 それは、「孫」「ペット」「病気」の話はしないとのこと。 これは、非常に良いと思う。 私もそうで、孫はいないし、ペットも飼っていない。 病気はあるが、そんなことは言うべきものではないと思っている。
View Article日紡貝塚工場はもうない
『東洋の魔女』で有名だった日紡貝塚工場だが、今はもうない。 現在は、ホームセンターや運動場になっているそうだ。 それは、ユーチューブの「ララいずみさん」のチャンネルで見られる。 東貝塚駅から出ている廃線跡を辿る映像で、今は巨大な工場跡になっているとのことだ。
View Article新川の謎がとけた
私が住んでいる吉野町の隣は、新川町といい。ここには新川が流れていた。 だが、旧暗渠は細い路地になっていて、とうてい大岡川の幅広く、河底も深いのと合わないので、変だと思っていた。 今日の午前中に、おさんの宮神社で、「神ジャズ」というイベントがあった。 その前に、河北直治さんから「お三の宮の謎」というレクチャーがあり、非常に面白かった。...
View Article大鵬はウクライナ人とのハーフだった
ウクライナ問題は、報道の量の多い割合には、その中身は他人事だが、実は横綱大鵬は、ウクライナ人とのハーフだった。 大鵬の父は、ウクライナ人で、スターリン時代の迫害で、シベリアに流され、さらに樺太に来て、日本人女性と結婚して大鵬が生まれた。 大鵬は、非常に色白で柔らかい体の力士だった。 その意味では、日本も他人事ではないのである。...
View Article誕生日だが・・・
今日は、私の誕生日で、74歳になった。女優の篠ひろ子も同じである。 もう一人横浜市役所にいた新井貴君もそうなのだ。 なんで、こんなことを知っているかというと、私が国際室の課長になったとき、ある日突然新井課長が現れて、「私とあなたは、誕生日が同じだよ」と言ったのだ。 なんで、彼がこんなことをしたのかは、今も不明だが、たぶん私が国際室の課長になったのが、不快だったのだろうと思う。...
View Article昔の歌手は音大出
最近は、ポピュラー音楽のミュージシャンでも音大出が多いようだ。 だが、意外なことに戦前、戦中の流行歌の歌手は、実はほとんどが音大出なのだ。 淡谷のり子、霧島昇、藤山一郎らみな音楽大学を出ていた。 戦前の歌手で、音大出出でなかったのは、たぶん田端義男とディツク・ミネだけだと思う。 戦後は、「NHKのど自慢」のようなところから、沢山の歌手が出ている。...
View Article77年前の昨日の夜は・・・
1945年3月10日の夜は、東京大空襲が行なわれた日で、約10万人が亡くなられた。 これは、実にひどいもので、まず広く丸い円を描くように周囲を爆撃し、逃げられないようにした後、真ん中を猛爆撃した。 このひどさに付いては、半藤一利氏が、その実体験を語っていたが、本当に地獄のような光景だったようだ。...
View Article光塩女子学院の有名人は
光塩女子学院の有名人は 先日の朝日新聞の夕刊に、高円寺についてあり、そこにある学校として光塩女子学院が出ていた。 ここは、カソリック系女学校として歴史のあるところで、作家の有吉佐和子なども出ているそうだ。 さらに、一部では有名なのは、蟻の町のマリアこと、北原玲子だろう。 蟻の町とは、浅草と隅田川の間にあった「集落」で、貧困な町だったが、ここで活動したのが北原玲子で、私も名を知っていた。...
View Articleオデッサ市との姉妹提携は
今朝の朝刊に、ウクライナ支援で横浜市が募金を始めたことが出ていた。 ウクライナの港町オデッサ市とは、横浜市は姉妹都市なのだ。 理由は、たしか横浜の労組の人がオデッサに行き、そこで向こうの人と知合ったことから始まったと聞いたている。...
View Article梅坊主の孫
ある区で福祉課長をやっいる時、ケースワーカーが聞いてきた。 「課長、梅坊主って知っていますか」 「もちろん、明治期の大スターの芸人だ」 「その孫という人が、来て生活が苦しいので・・・」 豊年齊梅坊主は、大変なスターで、沢山のレコードを吹き込んでいる。 1903年の「ガイズバーク・レコーディング」にも吹き込んでいる。...
View Article吉野橋付近に県と市の共同住宅があるわけは
これも、先週のイベントで、河北さんから教えてもらったこと。 南区の吉野橋の両側には、神奈川県と横浜市の外郭が所有している高層の共同ビルがある。 これは、黄金町の高層共同ビルが、黄金町駅周辺の闇市的店舗を入れたのと同じなのか、お聞きする。 答えは、闇市というよりは、蒔田には戦後米軍の接収地があったので、その整理をしたのではないかとのお答え。...
View Article新幹線に食堂車があった
昨夜は、確定申告の準備作業をしていて、夜は録画してあった『新幹線大爆破』を見た。 これは、佐藤純也唯一の傑作で、アクションと抒情性が上手く混ざっていて、高倉健も良い。 これは、公開時はヒットしなかったので見る機会がなく、1975年に反町東映という今はスーパーになっている館で見て、感動した。...
View Article三原じゅん子と浅尾慶一郎
夏の参議院選挙に向けて、自民党のポスターが貼られている。 三原じゅん子と菅義偉のものだ。 浅尾のもあるが、横浜市内は少ない。 要は、三原は横浜市で、浅尾は横浜以外のようだ。 この二人を見ていると、自民党も人材がいないなあと思う。 三原は、「八紘一宇はすばらしい」と言った姉ちゃんである。 浅尾は、最初は民主党から出たが、その後みんあの党に行き、今度は自民党である。...
View Article諸悪の根源は長期権力
プーチンのウクライナ侵略はひどいが、その根源は長期政権にあると思う。 22年も国の権力に居座っているなど、ほんとうに異常である。 私も、極小ながら長期権力に会ったことがある。 横浜市長を3期務めた高秀秀信氏である。 私が遭遇したのは、10年目くらいの時だが、彼は横浜市のすべてを知っているのに本当に驚いた。 せいぜい、現場の係長が承知していれば良い程度のことまでも熟知している。...
View Article高秀市長への疑問
高秀元横浜市長が優秀だったとしても、私には当時も一つの疑問がありました。 それは、「この人は横浜を愛しているのか」です。 数少ない会った中でも、二言目は夕張市でした。 若竹さんは、「人間所詮はふるさとよ」と言っていましたが。 まあ、そうなんでしょうね。
View Article室井摩耶子さん、ご健在
昨日の朝日の夕刊に、ピアニストの室井摩耶子さんが、100歳でご健在なことが出ていた。 今井正の映画『ここに泉あり』で出てくる。 私は、今井正というと共産党なので嫌いだったが、これと『にごり江』は非常に良い。 映画『にごり江』は、蜷川幸雄の劇『にごりえ』に多大な影響を与えた作品だと思えるほど、実にすばらしい作品である。...
View Article昭和の映画
昭和も、もう30年以上前のことで、「その感じが映像化されている映画は、ないか」と、 以前に若い人に聞かれたとき、私が推薦したのは、1973年の日活の『妹』である。 これは、林隆三と秋吉久美子の兄妹の話で、脚本は当時早稲田に住んでいた内田栄一、監督は藤田敏八、音楽は木田高介である。 鎌倉に行っていた秋吉が早稲田に地下鉄で戻って来たところから始まる。...
View Article佐藤忠男さん、死去
映画評論家の佐藤忠男さんが亡くなられたそうだ。91歳。 私が、『黒澤明の十字架』を出したとき、現代企画室との関係で代官山でトークイベントをした時、来ていただいた。 初対面だったが、肯定的な評価をいただいたのは、非常にうれしかった。...
View Article