映画評論家の佐藤忠男さんが亡くなられたそうだ。91歳。
私が、『黒澤明の十字架』を出したとき、現代企画室との関係で代官山でトークイベントをした時、来ていただいた。
初対面だったが、肯定的な評価をいただいたのは、非常にうれしかった。
佐藤さんは、戦後軍隊から戻って来て、高校を出た後上京し、国鉄に就職されて、横浜の神奈川区にいたとのこと。
神奈川には国鉄の車庫等もあり、官舎が沢山あった。今は、横浜市神奈川図書館になっている場所も元は国鉄の官舎である。
さて、佐藤さんは、国鉄をすぐにクビになってしまう。
1948年の吉田内閣の行政整理で、独身で勤務年限が短いとのことで、「優先的」に馘首されたのだそうだ。
家族持ちは、優遇されたようだ。
下山、三鷹、松川の3大事件が起きたときである。
その後、故郷の新潟に戻り、電電公社で勤きながら映画についての原稿を書き、投稿して認められて評論家となる。
今は、日本映画大学となっている学校も、途中はいろいろと問題もあったのだが、学長を務められて今日に至ったのは、大きなご功績だと思う。
ご冥福をお祈りしたい。