私が住んでいる吉野町の隣は、新川町といい。ここには新川が流れていた。
だが、旧暗渠は細い路地になっていて、とうてい大岡川の幅広く、河底も深いのと合わないので、変だと思っていた。
今日の午前中に、おさんの宮神社で、「神ジャズ」というイベントがあった。
その前に、河北直治さんから「お三の宮の謎」というレクチャーがあり、非常に面白かった。
蒔田公園は、江戸時代は吉良家の塩田だったなど初めて知った。
そして、終わった後、河北さんにお聞きした。
この新川と大岡川のレベルが合わないのではないかと。
それは、明治以後の話で、明治以降、この吉田勘兵衛が干拓した吉田新田は、港に近い方から次第に受託値になった。
そのとき、江戸期の干拓地の上に土を盛っていったので、大岡川と新川のレベルは違って行ったのだとのこと。
やはり、先達は何事にもあらまほしきものなり、である。
河北さん、有難う。今後も、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。