1945年3月10日の夜は、東京大空襲が行なわれた日で、約10万人が亡くなられた。
これは、実にひどいもので、まず広く丸い円を描くように周囲を爆撃し、逃げられないようにした後、真ん中を猛爆撃した。
このひどさに付いては、半藤一利氏が、その実体験を語っていたが、本当に地獄のような光景だったようだ。
一応、この無差別爆撃にも、理由はあった。
太平洋戦争中、1943年頃からアメリカは日本への空襲を行なった。
それは、当初は軍事施設や軍需工場を目標としたものだったが、米軍が期待したほどには、航空機生産は落ちなかった。
理由は、日本の航空機生産は、アメリカとは異なり、一貫して大工場で作っていることではないことだった。
日本では、多くの町工場で部品が作られ、それが工場で集められて飛行機になっていることだった。
私の知合いの方も、大学生時代に、徴用で埼玉の田舎の小さな町工場で飛行機の部品を作っていたとのことだ。
元は、繊維工場だったとのこと。
だから、町工場のある「下町」を爆撃したのだと。
無差別攻撃の言訳である。
だが、世界で最初に大都市への無差別爆撃したのは、日本軍の南京や重慶への爆撃だった。
そして、10万人の方がなくらられたのである。
だが、日本は戦後、この大空襲を指揮したアメリカ軍のカーチス・ルメイ少将に勲章を与えたのである。
自衛隊の育成に寄与したからだこと。
まことに日本人は、物事を忘れっぽい民族である。
鬼畜から偉人になった人、それはルメイ少将である。