久しぶりのシモキタ
用があって、雨の中を下北沢に行く。 シモキタに行くのは久しぶりで、小田急線が地下になっていて、井の頭線からもエレベーターで南口に出られるようになっている。 まだ工事中だが、以前よりも随分よくなっていると思う。 以前は、井の頭線から急な階段を下り、小田急線脇の狭い通路を通ってから階段を上がってやっと南口改札にたどり着くものだった。 私たち高齢者には、非常につらいものだったが、随分良くなったはずだ。...
View Article国民的行事のフィナーレ?
昨日のフジテレビは、タモリの『笑っていいとも』の最終回を、まるで国民的行事のように放送した。 32年前、この番組が始る前のタモリは、相当に変な芸人であり、テレビでもまだ東京12チャンネルで『断トツ・タモリの大放送』で過激なネタをやっている危ない人間だった。 それが32年間も続いたのは、やはり逆に時代が変わったからである。...
View Article「黒澤明・娯楽映画からの出発」を4月26日に行います
今月の末になりますが、4月26日に、「黒澤明・娯楽映画からの出発」をすることになりました。 昨年、現代企画室から『黒澤明の十字架』を出した時から、東京だけでなく、横浜でもトークイベントをするつもりでした。 なかなか企画が実現できなかったのですが、関内さくらワークスの杉浦裕樹さんが引き受けてくれて実現できることになりました。...
View Article『サムライ 評伝三船敏郎』 松田美智子(文藝春秋)
昨年、「文藝春秋」に掲載された三船敏郎の伝記で、言うまでもなく黒澤明と関係が深いので読む。 特に新しい事実を知ったことはないが、戦争が終わって熊本から三船が戻って来たとき、横浜で港湾関係の業務についていたというのがあり、そうかと思う。 横浜の古い人には、三船と会った、家に来た等々のことを言う人がいて、本当かなと思っていた。...
View Article『終りなき生命を』
1967年に作られた和泉雅子主演の日活映画、監督は吉田憲二で、彼の作品ではATGでの『鴎よ、海を見たか、めぐりあい』がひどかったので、心配したが、これはとても良い出来だった。 北海道岩内の日野道夫と望月優子の長女和泉は、中卒でビール工場で働いている。 炭鉱夫だった日野は、ろくに働かず、一家は最低の生活。 その中で和泉は、前向きに生きているが、ある日急に歩けなくなり、そこからは難病映画になる。...
View Article蟹江敬三、死去
俳優の蟹江敬三が亡くなられていたそうだ、69歳。 蟹江と言えば、やはり桜社最後の公演の1973年12月の『泣かないのか、泣かないのか、この1973年のために』が忘れられない。 見るものには大変感動的な芝居で、演劇評論家の渡辺保さんも、終了後演出の蜷川幸雄に、その旨言ったが、蜷川は答えず、結局この公演を最後に桜社は解散する。 その後、蟹江敬三といえば、日活ロマンポルノで大活躍する。...
View Article「横浜の関係企業だな」と思う
先日、沖ノ鳥島での桟橋設置工事で死者が出た。 亡くなれた方の会社を見ると、深田サルベージ、五洋建設等だったが、これは横浜の関係企業である。 深田サルベージの港湾工事用の大型クレーンは、いつも山下公園前に係留されているし、五洋建設は横浜発祥の企業である。 五洋は元は、水野組と言い、幕末、明治時代から横浜で港湾の埋立工事等をやって来た。 確か、本牧あたりが発祥だと思う。...
View Article『マニラ瑞穂記』
この明治時代のフィリピンを舞台にした劇を見ていて感じたのは、フィリピンの遠さであった。 多分、今の日本にとってアジアで一番遠い国はフィリプピンではないだろうか。中国や韓国は、好悪はともかくとして、極めて関心が強い。 だが、フィリピンについては、多くの日本人はほとんど関心がないのではないかと思う。...
View Article「1.5くらいにしないとまずい」 渡辺美智雄
みんなの党の代表渡辺喜美の多額の借入問題が話題となっているが、彼の父渡辺美智雄の話を聞いたのは、多分1982年頃だろうと思う。 言うまでもなく、彼は栃木の出身で、横浜の実力者松村千賀夫さんも栃木の出身なので、仲が良く、渡辺が作っていた温知会が横浜でも開催され、私も仕事柄誰か市会議長に付いて行ったのである。 その中で、渡辺美智雄は、世の中の力、権力、あるいは権威は3つあると言った。...
View Article『混血児リカ』
1972年に公開されていたことは知っていたが、見るのは初めての作品。 原作は梵天太郎のヒット劇画で、脚本新藤兼人、監督中平康で、照明も岡本健一と一流だが、到底彼らの映画とは思えないでき。 朝鮮戦争中に米兵に強姦されてできた混血児リカが、横浜で暴力団等と戦う話で、当時東映や日活でも盛んに作られていた「スケバン」もののに近い。...
View Article「黒澤明 娯楽映画からの出発」 4月26日土曜日です
4月26日土曜日の夕方、横浜市中区館内の、さくらワークスで「黒澤明 娯楽映画からの出発」をします。 『黒澤明の十字架』を昨年に出し、そのトークイベントは東京の代官山で開催したのですが、今回は横浜での開催です。 今回は、特に「娯楽映画からの出発」と題し、文化放送での「みんなの寅さん」や東京新聞での「虎さんのことば」などの『男はつらいよ』のみならず、...
View Article『からたち日記』
1959年に島倉千代子のヒット曲に併せて作られた映画、歌謡映画かと思うと、増田小夜という女性が書いた自伝が原作で、きわめて真面目な作品。 一応松竹で公開されたが、厳密に言えば歌舞伎座映画で、製作は加賀まり子の叔父さんの加賀二郎で、制作主任は後に大島渚の映画を作る中島正幸。...
View Article月光仮面の妻
月光仮面の妻とは、高千穂ひづるのことである。 よく知られているように彼女は、プロ野球の審判で「俺がルールブックだ」の名言で有名な二出川延明の娘である。 宝塚歌劇団にいた後、なぜか松竹に入るが、その後東映に移り、主に時代劇で大活躍する。 錦之助・千代之助の『新諸国物語』シリーズで、この頃の東映時代劇の女優は、彼女の他、千原しのぶ、田代百合子の3人が出ずっぱりで、高千穂は、お姫様役だった。...
View Article佐分利信と加藤剛との会話
野村芳太郎監督の『砂の器』は、世評ほど良い映画とは私は思えない。 その中で、主人公で作曲家加藤剛の婚約者山口果林の父親が、国会議員の佐分利信である。 佐分利から加藤剛は次のように言われる。 「英良君も有名になると、これからは大変だな、誰が味方で、敵かもわからないからな」 それに対して果林は、「芸術と政治の世界とは違うわよ」と言うが、加藤剛は言う。 「人間のやることだ、どこの世界も変わりはない」...
View Article知らなかった
今年の3月に、元横浜市会議員の相川光正さんが亡くなられていたそうだ。私は知らなかったが、新聞には出ただろうか。 現役ではないが、市会議長も務めた方なので、新聞には出ていたと思うが、私は見落としたのだろう。 この方とは私は直接関係はないが、光正さんの父相川藤兵衛さんとは、彼が市会議長になられた時、2年間市会事務局の議長担当秘書として仕えさせていただいたのである。...
View Article55年前の4月10日は
一日遅れたが、1959年4月10日は、当時の皇太子、現天皇陛下の正田美智子さんとのご成婚の日だった。 大衆文化的に見れば、これはどのような意味があったのだろうか。 言うまでもなくテレビの普及である。 私も小学生だったが、式の終了後のパレードを一家でテレビを見た。 この一大イベントは、日本国中のテレビ普及率を大きく上げたのだが、勿論白黒テレビである。...
View Article『解決』
1941年6月に公開された東宝映画、脚本は岸松雄、監督滝澤英輔だが、原作秘田余四郎、潤色高田保となっている。 この話は、外国映画の字幕で有名だった秘田氏の原作を、新国劇が高田の脚色で劇化し、それを東宝が映画化したものである。 舞台は、東京の佃島で、露天商、いわゆるテキ屋の話、高田稔と御橋公の二つの組がある。 御橋の家に、傷痍軍人が来て、戦死した上司で御橋の息子の霊を拝ませてくれと来る。...
View Article鈴木正之さんの死去も書いておく
先日、相川光正さんのご逝去について書いたので、やはり横浜市会議長だった鈴木正之さんの死についても書いておく。 鈴木正之さんが亡くなれたのは、去年の10月のことだそうだ。 私は、この方は直接にはあまり知らないが、その父鈴木長之さんは、私が市会事務局に入った時は現役で、市会議員9期目くらいだった。...
View Articleテレビ東京50年
テレビ東京が50年を迎えたとのことで、特別番組が放送されたが、このテレビ局で学生時代にアルバイトしたことがある。 兄の中学時代の友人がディレクターだったので、その伝で運動部でアルバイトした。 大学1年の夏の土曜日だったと思うが、呼ばれて東京タワー下の局に行くと、プロ野球の中継だった。 東京12チャンネル史上最初の野球中継だったそうで、神宮球場からの巨人・ヤクルト戦だった。...
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