テレビ東京が50年を迎えたとのことで、特別番組が放送されたが、このテレビ局で学生時代にアルバイトしたことがある。
兄の中学時代の友人がディレクターだったので、その伝で運動部でアルバイトした。
大学1年の夏の土曜日だったと思うが、呼ばれて東京タワー下の局に行くと、プロ野球の中継だった。
東京12チャンネル史上最初の野球中継だったそうで、神宮球場からの巨人・ヤクルト戦だった。
なにをやったかと言えば、スコアの表示、S・B・O、今はB・S・Oだが。
皆勘違いしていると思うが、あれは自動的に出るものではなく、アンパイアの動きを見て、スタジオで人がボタンを押しているのである。
時には、審判の判定を早とちりして間違えたりすることがある。その時は、「消してください」と言って画面から表示を消して、直して出すのである。
そして、その年の夏休みは、ずっとアルバイトに運動部に通うと、この局の内情がよくわかってきた。
兄の友人は新卒だったが、それは少数で、大半は他局からの移籍組だった。
中村さんという温厚な係長がいたが、「私はNHK大阪のラジオのアナウンサーで、劇場中継などをやっていた」と言う。
ラジオの劇場中継というと不思議に思われるかもしれないが、ラジオの劇場中継があり、結構人気番組だった。嘘だと思うなら小津安二郎の映画にも出てくるので、見ればよい。
その翌年の春休みには、美術部でも働いたが、その年の冒頭の大ニュースは、日活の撮影所の売却で、スポーツ新聞に大々的に出ていた。
それは、その後複雑な経緯を経て、和解になるが、それはずっと後のことである。
ここでは、「田宮二郎ショー」などのレギュラー番組の飾りつけを手伝ったが、ここの職人さんたちもほとんどは、他の舞台制作会社や映画会社から来た人たちだった。
このテレビ局でのアルバイトは、翌年の広告代理店でのアルバイトと併せて、私にこうした業界には就職しないほうが良いのではとの実感をもたらすことになる。