今年の3月に、元横浜市会議員の相川光正さんが亡くなられていたそうだ。私は知らなかったが、新聞には出ただろうか。
現役ではないが、市会議長も務めた方なので、新聞には出ていたと思うが、私は見落としたのだろう。
この方とは私は直接関係はないが、光正さんの父相川藤兵衛さんとは、彼が市会議長になられた時、2年間市会事務局の議長担当秘書として仕えさせていただいたのである。
相川家は、横浜市金沢の名家で、きわめて近い親族の相川文五郎さんは、今も横浜でも有数の地主である。
さて、相川藤兵衛さんは、片耳がよく聞こえず常に補聴器を入れていた。
だが、議会の業務は、文書、書類で行うので、ほとんど業務に差し支えることはなかった。
前に、年末に相川議長から正月のお年玉を貰ったことは書いたので、別のことを書く。
それは、春・秋に行われる「宮中園遊会」である。
指定市の市長・議長は順番で2年に一度はご招待が回ってくるので、2年以上任期を務めれば、園遊会に呼ばれることになる。
秋か春かどちらかか忘れたが、相川さんご夫妻がご招待された。
会は午後からなので、あらかじめホテルニューオータニを予約して、ご夫妻と一緒に軽い昼食をとった。
朝から六浦の家に迎えに行き、東京に行き、昼食後指定の入口から、ご夫妻を会場に送り届けたのだが、その間、相川藤兵衛さんは、こちらから話掛けてもほとんど口をきかなかった。
天皇陛下に会えると言うので緊張していたのだと思う。
普段は意外にも気さくな方だったので、今日は特別なのだなと思ってものだ。
その後、相川藤兵衛さんは、議長をやめた後、一議員だったが、地元六浦で「やぐら遺跡」問題が起こり、連日の地元説明会に引き出され、その過労で亡くなられてしまった。
すぐに補欠選挙が行われ、当時は横浜信用金庫のどこかの支店長をやられていた相川光正さんが出られて無事当選された。
その後、議長にまでなり、親子二代議長と言うのは、港北の島村さん親子につづくものになった。
相川藤兵衛さんと同様に人柄の良い方だったが、そう言う人を議長に選出したのだから、昔の自民党と言うのは大したものだと思う。
「人間、最後は人柄だよ」という言葉を思い出すが、ある意味で大人物だった相川藤兵衛、そして光正さんのご冥福をお祈りしたい。