文学青年としての石原裕次郎 『憎いあンちくしょう』
どこかの本で読んだが、石原裕次郎は、福永武彦などが好きな文学青年だったらしい。 兄・石原慎太郎が、小説家なのだから頷ける話だ。 『憎いあンちくしょう』は、私は大好きな映画で、たぶん5回くらい見ている。 今回、午前中は何もすることがなかったので見るが、やはり面白く、裕次郎が文学青年的であることがよく分かった。...
View Article『太陽の墓場』
普通、論争的に思われる大島渚だが、意外にも表現は抒情的である。 この映画を映画館で見るのは、高校時代に池袋の人生座で見て以来で、20年くらい前にビデオで見て、この1960年の大阪市は、ほとんどアジアだなあと感じた。その彼の抒情性が良く出ているのが、この映画で、その延長線上に『日本春歌考』もある。...
View Article最初に食べた麻婆豆腐など
今日は、「四川料理の日」なのだそうで、四川料理と言えば、一番有名なのは麻婆豆腐だろう。 私が、最初に食べたのは、大学2年のときで、有楽町の広告代理店に勤務していた島村さんの会社でアルバイトをしていたときだった。 昼休みに、錦江飯店で食べたのが、麻婆豆腐で、一皿に麻婆と御飯が盛られたもので、800円だったと思う。当時としては、非常に高いものだったが、アルバイトの気楽さで食べていたと思う。...
View ArticleANAにはなっていないのだ
映画『憎いあんちくしょう』の最後、熊本の無医村に、石原裕次郎と浅丘ルリ子が、芦川いづみが持つジープを運んで、そこにいる小池朝雄と2年ぶりに会う。 芦川は、テレビ局員長門裕之の手配したヘリコプターで降りてくる。 西日本空輸だった。 これは、現在のANAになったのかと調べると、合併してはいず、今ではドクターヘリ等の会社として存続しているそうだ。
View Article一昨日の口論
一昨日、国立映画アーカイブで『太陽の墓場』を見ているとき、前の席で口論が二回あった。 要は、見ながら眠っていて、いびきが煩いと若い男が、隣の年上の男に言っていて、言われた方も反論していた。 だが、私は、一番悪いのは、映画『太陽の墓場』だと思ったのだ。 監督の大島渚は、あるBSの番組で、師匠の大庭秀雄監督の言に触れていた。...
View Article遺書ではありません
私が出した「ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェスバル』を読んでくれたある人から、 「これは遺書なのではないか・・・」と感じたと言われた。 もちろん、まだ死ぬ気はないので、あれは遺書ではない。 まあ、若い人への「遺言」の意味は少々あったのではあったが。 日本の音楽業界への名刺代わりだと言えばよいだろうか。 そんなものである。
View Article小山台高校、永見先生
先日は、日本史の荒久保先生について書いたが、もう一人好きだったのが、物理の永見先生だった。 この方は、元は戦闘機に乗っていたという人で、片肺がなくて、いつも咳き込んでいたが、話は非常に面白かった。 得意の分野は、戦争の戦法で、アレキサンダー大王から、ナポレオン、さらにノモンハン戦と古代から近代に至る戦争のやり方の説明と批評なのだ。...
View Article村上の投球を見る
昨日の午後は、中日・阪神で、阪神の村上投手の投球を見る。 驚くほど速い球ではないが、非常にコントロールがよく、変化球もよく決まっている。 やはり、投手はコントロールだと思った。 これで、連敗は2で止まる。 村上と才気の二人で、今年の阪神はなんとかなると思える。 いよいよ岡田の言う「あれ」になるだろう。
View Article「われわれは、自由舞台のような共産党劇団ではないのだ」
昨日の昼は、高田馬場に行き、「早大劇研同窓の集い」に出る。 23人で、なんと私が一番下で、最高学年の羽根井明夫さんは、昭和28年入学であり、その次が、元NHKアナウンサーで、副会長にもなられた永井多恵子さん。 彼女は、世田谷パブリックシアター館長も辞められて、国際演劇協会の日本代表をされているとのこと。...
View Article奈良岡朋子、死去
民藝の女優、奈良岡朋子追悼の特別号が来た。 別に大したことではなく、「民藝の仲間の会」に入っているからなのだ。 かって、日本の劇団で、一番の後援会を持っていたのは、俳優座だった。 ところが、市原悦子さんの夫の塩見哲の暴挙によって、それは俳優座制作センターにされてしまい、実質的に解消したようだ。 実にバカバカしいことだが、長年塩見哲に大きな芝居の演出をやらせなかった千田是也への「復讐」だったようだ。...
View Article神奈川新聞に掲載
今日の神奈川新聞に本とトークイベントのことが掲載される。 また、先日、朝日新聞に出た広告についても言われる。 「何百万もしたんでしょうね」 そんなものではないのだが、意外にも朝日新聞は、読者が多いのだなと思う。 いずれにしても、4月29日のパシフィコ横浜でのトークイベントには、多くの方にお見えいただきたい。...
View Article「1か月くらいかかった」そうだ 『日本の夜と霧』
日曜日の劇研同窓会で、長谷部朝子さんに、大島渚の『日本の夜と霧』のことについてお話を聞く。 この時は、準備から撮影まで、約1か月くらい、大船に通ったとのこと。 そのことは、大島の本にも、「劇研の人から意見を聞いた」と書かれている。 この大島らと劇研の間を結んだのは、横堀幸司さんで、彼はその後、松竹の助監督になられた。...
View Articleハリー・べラフォンテ死去、96歳
『バナバ・ボート』で有名な歌手のべラフォンテが亡くなったが、音楽評論家の中村とうようさんが、最初にレコードの解説を書いたのが、このべラフォンテのライブアルバムだったそうだ。 「神棚に上げておかなくてはいけないんだ」とも言っていた。 そして、彼が来日したとき、その司会をしたが、 彼は「公演の収益を、日本で民族音楽を研究している団体に寄付したい」というので、東洋音楽学会に行き、寄付した。...
View Article横浜市議選挙でも、公明党議員が落ちたことがある
今日の新聞に、公明党の議員が、全国で12人も落ちたと出ていて、前代未聞だとある。 だが、私が記憶しているところでは、1974年の選挙の時に、旭区で山本議員が、2011年の時に、金沢区で木村議員が落選している。 たしかに、公明党は、票割ができる党で、私が今いる南区では、一時だが、公明党議員が2人いたことがある。...
View Article「最高です!」しか知らないのかっ!
プロ野球が好きだが、テレビで見ていて、インタビューに答えると、皆 「最高です!」としか言わない。 巨人の阿部が言ったのが最初だと思うが、他に言うことがないのか。 高校野球で、きちんと教育すべきと思うのは、私だけだろうか。
View Article品川駅港南口
昨日は、用があって品川駅の港南口に行ったが、大変な混雑だった。 ここは、昔は、本当になにもなく、東京都の食肉市場、東京新聞本社、そして本の少し、新宿西口のような飲食店街があるだけだった。 なにしろ、ここに出るには、長くて細い地下道があるだけで、ここの暗い地下道は、多くの映画で使用されたくらいだ。...
View ArticleBMWのオートバイ
以前、パシフィコ横浜にいるとき、休日だったと思うが、何かの用で、横浜市役所前にあった会社に行くと、 某大企業から来ていたNさんが、さっそうと大型バイクを止めて降り立った。 「これはなんですか」と聞くと、 「BMWだよ」と言われる。 「BMWって、バイクも作っているのですか」 「もともとBMWは、4輪よりも、バイクの方が先なんだよ」 と言ってどこかにツーリングへと去って行かれたのだ。...
View Articleスーダンのミュージシャンも出た
内戦が報じられているスーダンだが、ウォーマッド横浜にスーダンのミュージシャンも出たことを思い出した。 ヌビア出身で、エジプトの奥地、スーダンともいえるあたりだろう。 1994年で、アリ・ハッサーン・クバーンで、苦虫を嚙み潰したようなお爺さんで、かなり渋い声だったが、迫力はあった。...
View Article性差医療について
昨日はさすがに少し疲れたので、すぐに寝る。 午後も、ぼんやりとビデオを見ていたら、人間の病気の性差の特番だった。 これは、20年前に脳梗塞で倒れた時、気づいたことだった。 男は左麻痺、女性は右麻痺なのだ。 もちろん、男で右麻痺、女で左麻痺はいるが、大体70から80%は、男は左、女は右マヒなのである。 それは、食事のとき、男女一緒の部屋で取ったので、すぐに分かったことなのだ。...
View Article「凡人は凡人に戻る」 高林恒夫
「凡人は凡人に戻る」と言ったのは、元巨人の外野手の高林恒夫である。 彼は、立教大学、熊谷組で活躍して、巨人に入った。 そこそこ活躍していたが、すぐに国鉄にトレードされて数年後に引退した。 その時の言葉である。 当時、巨人には、長嶋、王、国鉄には金田などの大選手がいたので、到底自分は無理と思ったのだろう。 実に賢明なことで、その後は実家の神保町の東陽堂の店主となった。
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