どこかの本で読んだが、石原裕次郎は、福永武彦などが好きな文学青年だったらしい。
兄・石原慎太郎が、小説家なのだから頷ける話だ。
『憎いあンちくしょう』は、私は大好きな映画で、たぶん5回くらい見ている。
今回、午前中は何もすることがなかったので見るが、やはり面白く、裕次郎が文学青年的であることがよく分かった。
テレビやラジオの人気タレントの裕次郎の北大作と、マネージャー榊田典子の浅丘ルリ子の話である。
自分たちを恋人同士と思っている典子は、ある日、大作に聞く、
「今日は何の日・・・」
「昨日の続きさ」
これは、明らかにこの映画が、当時ラジオ関東で人気の番組だった『昨日の続き』をヒントにしていることをあらわしていて、北大作のモデルは、なんと永六輔なのだ。
永六輔は、マス・コミの人気者だったが、当時日活の撮影所にもよく出入りしていて、石原裕次郎主演の映画『零戦黒雲一家』では、ギャグ協力とタイトルされている。
この北大作の番組『今日の三行広告から』という新聞の三行広告から面白いものを取り上げるもので、
芦川いづみの『ヒューマニズムを理解する運転手求む」を採用し、番組の中で芦川と対談し、
熊本の無医村まで運んでいくジープを、北が「自分で運んでいく」と宣言してしまう。
そこから東京から熊本までの「ロード・ムービー」となるが、これも実にドキュメンタリー的であって、大変に良くできている。
テレビのディレクターの長門裕之が、暴露的番組を撮ったり、京都で身代わりの青年の川地民夫が現れたり、大阪駅で多数の取材陣に囲まれたりするが、裕次郎は次第に決意が強くなる。
この間、静岡の食堂では、親父で山田禅二、京都の店では、青木富雄や高品格が出てくるのもうれしい。テレビ局の助手には、市村博もいる。
東京を出るシーンでは、長屋のおかみとして、後のロマンポルノ時代でも出ていた高山千草が声をかける。大阪の新聞記者には、民藝の佐野浅夫と青年座の森塚敏が出ている。
そして、大阪から西に向かうが、これを見ると、田中角栄の「日本列島改造論」が本当に必要だったことがよく分かる。
東京から名古屋、京都、大阪への道は、舗装されているが、大阪から西はまったく舗装されておらず泥の未舗装の道路なのだ。
国道フェリーと宇高フェリーを使って、さらに西に行くのは、この間の混雑がひどかったためなのだろうか。
博多で、祇園山笠が出てくるのも、日本映画で最初だと思う。ここは、特撮と上手く合成されている。
そして、九州の山道でジャガーが崖下に落ちて、二人はジープで熊本に行く。
最後、2年ぶりに会ってぎこちない仲の芦川いづみと小池朝雄に対し、裕次郎は言う、
「愛は言葉じゃない」
と言って、浅丘ルリ子と草原で抱き合う。
まさに、実存主義的な愛の姿だった。
チャンネルneco