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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『太陽の墓場』

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普通、論争的に思われる大島渚だが、意外にも表現は抒情的である。

この映画を映画館で見るのは、高校時代に池袋の人生座で見て以来で、20年くらい前にビデオで見て、この1960年の大阪市は、ほとんどアジアだなあと感じた。その彼の抒情性が良く出ているのが、この映画で、その延長線上に『日本春歌考』もある。

                                   

ここでは、大阪西成地区釜ヶ崎の、若いヤクザたちの「青春」を描いていて、津川雅彦、川津祐介らの組に、佐々木功と友人の中原が入ってきて起こすドラマである。

もう一つあるのが、釜ヶ崎の最底辺の連中で、彼らから血を取って、商売しているのが若い娘の炎加代子と元衛生兵の浜村純で、伴淳三郎の土地のバラックに住むバタヤたちで、左朴善、渡辺文雄、永井一郎、藤原釜足、田中邦衛、北林谷栄らで、そこに佐藤慶らが絡んでいる

さらに、小沢栄太郎の扮する元軍人の「動乱屋」が来て、

「すぐにもソ連が攻めてくるぞ!」と脅かし、彼らから戸籍を安く買って三国人に売って儲けようとする。

最後、津川、川津、佐々木らは死ぬことになる、無残な青春である。

ただ、一人炎だけが、また浜村と組んで仕事をしようと釜ヶ崎を出ていくところでエンド。

この映画の欠点は、登場人物の紹介が少なくて、人間関係が良くわかないところがある。というのも、石堂淑郎の元のシナリオは相当に長いもので、大島は、それをほとんど原作通りに撮った。

すると、試写で見て、大島は自分でも分からいない部分もあり、

セカンド助監督の前田陽一に、「半分以下に切れ」と命じ、前田は切りに切った。そこで、筋が不明になったのだそうだ。

炎加代子が、小沢栄太郎に聞く、

「本当に世の中は変わるのか、ルンペンたちはいなくなるのか」

1960年代の経済の高度成長によって、このルンペンたちも日本社会のどこかに吸収されたはずで、高度成長というのは、まことにすごいものだったのだ。

なんども繰り返される音楽の真鍋理一郎作曲のギターの響き、撮影の川又巧の大阪城の後ろに落ちる夕陽の赤さなど、大変に抒情的である。

また、佐々木が中原を殺す埋め立て地のような広場のシーンの音楽は、真鍋曰く、「アジア的に見えたので、ガムランにした」とのことだ。

彼の作品の最高はATGで作った『少年』で、ここには松竹大船での監督修行の成果もよく現れていると思う。

それに次ぐのが『白昼の通り魔』で、犯罪映画史上の名作でもあり、林光の音楽も良かった。総じて言えば、1960年代後半が彼の最高作品が出た時代だったと思う。

彼と創造社は、日本映画界では孤立していたが、若者や社会からは支持されているのだという意気があり、次々と問題作に挑戦していた。また、彼の資質に、問題提起があり、作品を完璧に作るよりは、タイムリーに問題を提示し、見たものの意識を喚起することがあった。

これが時代や社会と上手くシンクロしていれば良い作品になるが、1970年代以降は、空回りになり、ただ騒いでいるだけになったと思う。その典型が遺作になった『御法度』で、「カンヌだ、たけしだ、松田優作の遺児だ」と話題は多かったが、中身は空疎な気がした。

私が、1970年代以降では、『戦場のメリークリスマス』と『御法度』しか見ていないのは、それについての騒わがし方が大きすぎるのにウンザリしたためである。『御法度』は、再起作なので見に行ったが、唖然としたというのが正直な感想である。この時、小林信彦が週刊文春で褒めていて、それもあり見に行ったのだが裏切られ、それ以来小林信彦の書くものは信用しないことにしている。

 国立映画アーカイブ 小ホール


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