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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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横浜市議選挙でも、公明党議員が落ちたことがある

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今日の新聞に、公明党の議員が、全国で12人も落ちたと出ていて、前代未聞だとある。

だが、私が記憶しているところでは、1974年の選挙の時に、旭区で山本議員が、2011年の時に、金沢区で木村議員が落選している。

たしかに、公明党は、票割ができる党で、私が今いる南区では、一時だが、公明党議員が2人いたことがある。

男性の3期目のE議員と1期のK議員で、次の時から定数が減となるので、K議員を下して、E議員だけにしたのだ。

この時、大久保英太郎議長は、Kさんを下した経緯を説明してくれた。

Kさんは、実は女性だったので、この人の方が優秀だったが、議員を辞めても主婦に戻ればよいので、このKさんを下してE議員を残したのだそうだ。

逆にすると、Eさんの生活の面倒を公明党が見なくてはいけないからだとのこと。

                

さて、二度の公明党議員が落選した件を説明しよう。

旭区の山本議員が落ちたときは、庶務課長は言っていた。

「あんな馬鹿は、落ちて当然だ」

確かにその通りで、精神が少々不安定で、やたらに怒る人だった。

傑作だったのは、議場の自己の議員の札を壊したことだった。

当時の議員の札は、非常に凝った構造になっていて、通常は机に収容されている。

だが、頭の部分を少し押すと、上がる構造になっていた。中に、錘があり、札と紐で繋がれていて、それで上下に動作するようになっていたのだ。

だが、この最初の押し方は、結構微妙で、やたらに強く押してはダメなのだ。

だが、この山本議員は、いつも強く押してだめにしていた。そのたびに、守衛さんが来て、机の下の板を外して直していたのだ。

少々精神が不安定な方で、落ちてしまったのだが、事務局職員からみれば、当然という感じだった。

一方、金沢区の木村議員は、温厚でまじめな方だったので、その落選には私も驚いた。

これは、今は立憲民主党の国会議員となっている篠原議員が出たための影響だった。

篠原氏は、この時は、みんなの党から出て、「みんなの党ブーム」で当選し、木村議員はその余波で落ちたのである。

固定票がすべてと言われる公明党だが、その実、結港は浮動票もあるということだろうと思う。

 

 

 


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