一昨日、国立映画アーカイブで『太陽の墓場』を見ているとき、前の席で口論が二回あった。
要は、見ながら眠っていて、いびきが煩いと若い男が、隣の年上の男に言っていて、言われた方も反論していた。
だが、私は、一番悪いのは、映画『太陽の墓場』だと思ったのだ。
監督の大島渚は、あるBSの番組で、師匠の大庭秀雄監督の言に触れていた。
それは、大島の先輩助監督が、監督に昇進するときのことで、大島は「彼は良い監督になるでしょうかね」と聞いたのだ。
すると、大庭監督は、こう言った。
「そんなことはない。彼は、家に来ても、玄関先の挨拶すらできない男なんだから」
そして、大島は、映画作りも、玄関先の挨拶と同じで、まず全体を説明する、そして導入から展開へと導き、ドラマを盛り上げる。
こうしたことは、その人間の生き方と同じなのだとのこと。
その点では、この映画は、挨拶も展開も乱暴で、人物描写もいい加減で、佐藤慶などは悪徳医者らしいが、よくわからない。
客が寝るのも当然なのだ。
だが、大島によれば、これはかなり好評だったのだそうだ。
その理由は、筋は不明だが、音楽とカメラが抒情的で、その雰囲気は悪くなかったからだろうと思う。
だが、大島渚は、その裏に大きな意思を隠していたことは、次の『日本の夜と霧』で分かるのだった。