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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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池田圭先生は、沢たまきを聞いていた

ユーチューブには、かなりオーディオについてのサイトがあり、見ている。 私は、本にも書いたが、中学時代はラジオ少年だったので、オーディオにも興味はある。 池田圭と言えば、オーディオの世界では、神様のごとき人である。 高校の同級生に、カメラマンになったIという男がいて、彼が雑誌の仕事で、池田邸に行ったそうだ。                 田園調布の邸宅の地下にリスニングルームがあったとのこと。...

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昭和天皇は、皇太子をなんと呼んでいたのか

答えは、「東宮ちゃん」である。                     山田朗先生の田島道治の『昭和天皇拝謁記』を読むの中での、昭和天皇の言葉で、17日は、1953年の前半で、非常に興味深い言葉があったが、これが最高だった。 山田先生は、昭和天皇のことを「かなりの親ばか」と呼んでいるが、その通りだと思った。

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昭和天皇の好き嫌い

先日の「昭和天皇拝謁記」からには、いろいろと面白いことが出ていた。...

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高橋さんのこと

今回出した『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』では、パシフィコ横浜の人についても書いた。 本当は、もっと面白いこともあったのだが、他人への批判となる可能性もあるので止した。 もう一つ書いたのは、社内の部長以上に人にしたが、課長で一番にお世話になったのは、上司の営業課長の高橋利夫さんである。...

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昭和天皇は、自分を元首とみなしていた

再び、『昭和天皇拝謁録』に戻る。 中で一番の問題点は、昭和天皇は、戦後、日本国憲法が制定された後でも、自分は日本の元首だと思っていたことだろう。 1953年5月18日のことで、首相を「認証しないこともある」と言ったことだ。 この時の政治体制は、吉田政権だが、保守は分裂していて改進党があり、社会党では左派が優勢になっていた。...

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「情けは人のためならず」

先日、あるイベントのためにパシフィコ横浜に行って話を聞くと、4月には放射線医学会総会・展示会が行われるとのことだ。 これは、私の記憶では、パシフィコ横浜開業以来ずっと横浜でやってくれているコンベンションで、多分最初に横浜での開催を決めてくれたイベントなのだ。...

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早く除名すべきだと思う

国会への欠席を続けているNHK党のガーシー参院議員に対し「議場での陳謝」を科す懲罰が、参院本会議で22日、与野党の賛成多数で可決し、正式に決定された。 【画像で見る】ガーシー議員VS鈴木宗男議員”場外乱闘”で舌戦も・・・ ドバイに滞在し、去年7月の初当選以降、一度も登院していないガーシー氏に対し、「議場での陳謝」を科す懲罰が、参院本会議で22日、与野党の賛成多数で可決し、正式決定された。...

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東京にもあったトロッコ列車

トロッコというと、地方の列車のように思えるが、東京大田区の池上でも、トロッコがあったことがある。 それは、池上の本門寺の崖のところに大田区民会館を作った時のことで、本門寺脇の崖から、呑川までトロッコの軌道が引かれて、土砂を運搬していた。                  当時は、トラックがまだ普及していなくて、工事での土砂の運搬にはトロッコが使用されていたのだと思う。...

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『花つみ日記』戦前の大阪の文化の厚みを感じる

1939年、東宝京都撮影所で作られた石田民三監督作品で、助監督が市川崑と毛利正樹。この二人は、後に東京に移り、東宝、新東宝の監督となる。 原作は、人気作家吉屋信子で、高峰秀子ら、大阪の女学生の日常を描くもので、友人として清水美佐子らが出ている。他に、戦後加藤治子となる御舟京子がいたようだが、これは分からず。...

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ハベル氏が出ていた

NHKの「バタフライエフェクト」の『ロックが壊した冷戦の壁』に、チェコスロバキアのハベル氏が出ていた。 元劇場主のハベル氏は、当時は反体制人の一人で、当局に監視される人間だった。 彼らは、しかしいろんなイベントをやっていたが、その一つが、日本の田中泯さんのダンスで、制作は田村光男だったが、そのことは今度出した本『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェスティバル』に書いた。...

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佐藤栄作の功績

昨日は、国立映画アーカイブで、「かんけまり」特集を見た。 かんけは、東宝のスクリプターから始まり、戦後は記録映画監督になった。 4本が上映されたが、3本目の『ガジュマルは生きている』が、興味深かった。 これは、沖縄返還を叫ぶ短編だが、なかで佐藤栄作首相が来て、「沖縄が戻って来なければ、戦後は終わっていない」の名言を残した。...

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チケットが取れるようになった

中央区宝町の国立映画アーカイブは、コロナ頃からチケットが、基本的に事前予約制のパソコン入力になった。                      それがなかなか上手くできず、以前の「京マチ子特集」など行けなくて困っていた。 ところが、先週友人にスマフォで席を予約してもらい、入場できたので、日曜日は自分のPCで取ると無事できた。 今度は、明日のも無事取れた。...

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『女学生記』と『わたし達はこんなに働いてゐる』

この日は、脚本の鈴木紀子と厚木たか。 『女学生記』は、まさに女学校の生徒たちの日常を描くもので、松竹蒲田的作品。 監督は、戦後『ゴジラ』の脚本を書く村田武雄、トーキーを作らせない松竹を出て、重宗・森・明電舎が作った東京発声での作品。ここは、世田谷にスタジオを持ち、東宝、新東宝、大蔵、そして今はオークランドになっている。...

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タウンニュースで紹介されました

横浜、神奈川のタウン誌である、タウンニュースに本が紹介されました。 4月末には、パシフィコ横浜で、再度トークイベントをする予定で、今企画を練っているところです。                     

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「フジ・ロック」が日本の野外フェステイバルの始まりじゃないよ

「フジ・ロック」が日本の野外フェステイバルの始まりだと思っている人は多いだろう。 だが、それは大間違いなのだ。 1991年8月に、パシフィコ横浜で行われた「ウォーマッド横浜」が最初で、いろいろと起伏はあったが1996年まで続けられた。 翌年の1997年に始められたのが、フジ・ロック・フェスなのである。...

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「国際平和会議場にしなさい」と言ったのは、細郷道一市長だった

1987年に、みなとみらい地区に作る国際会議場会社について、当時担当の部長だった岡本さんと課長の宇野さんが、細郷市長に原案を持って行った。 それは、株式会社横浜国際会議場、ICC横浜だった。 これは、ドイツ・ベルリンの国際会議場が、ICCベルリン(インターナショナル・コンベンション・センター・ベルリン)に倣ったものだった。      この時、細郷市長は、...

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9号館から出た、二人の異才 つかこうへいと村上春樹

1960年代後半の話である。 早稲田大学でも、「闘争」が起きて、当時の9号館を学生が占拠して、勝手に使い始めた。 主力は、劇団の連中で、自由舞台と演劇研究会だった。 ここで、自由に稽古をしていたのだが、そこにやってきたのが、つかこうへいで、わざわざ慶応から来たのだ。 もう一人、ここから出た偉才がいて、それは村上春樹であり、彼は人形劇研究会にいて、彼らも9号館を使っていたのだ。...

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一度だけ話した細郷道一市長

細郷道一氏が、横浜市長だったとき、私は市会事務局の職員だったので、まったく付き合いはなかった。 ただ、1979年に中国の上海で、「79横浜上海工業展」という展示会があり、この横浜市代表団の一員として中国に行った。 これは、前任の飛鳥田市長時代に進めていた上海との交流事業の一つとして行われたもので、細郷市長はきちんと前任の飛鳥田市長の政策を継承されたのだ。...

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文化村とは何か

『アンナ・カレーニナ』を見るために、渋谷の東急本店に行くと、デパート部分は閉鎖されていて、シャッターが降りている。 だが、劇場シアターコクーンの入り口には「文化村」のサインがきちんとある。               この文化村とはなんだろうか、皆気づいていないようだ。 これは、もともとは「アーチスト・イン・レジデンス」をやるつもりで、文化村と名付けたのだ。...

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滝田さんのこと

文化村で、思い出したのは、滝田久光さんのことだ。 彼は、横浜の生まれで、早稲田大学教育学部英語英文学科を出て、紀伊国屋書店に入った。つまり、私の大学の先輩である。 紀伊国屋では、サンフランシスコにいて、全米の大学に行き、日本の小説等を売り歩いてそうだ。...

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