1960年代後半の話である。
早稲田大学でも、「闘争」が起きて、当時の9号館を学生が占拠して、勝手に使い始めた。
主力は、劇団の連中で、自由舞台と演劇研究会だった。
ここで、自由に稽古をしていたのだが、そこにやってきたのが、つかこうへいで、わざわざ慶応から来たのだ。
もう一人、ここから出た偉才がいて、それは村上春樹であり、彼は人形劇研究会にいて、彼らも9号館を使っていたのだ。
他には、考古学研究会というのもあった。
もちろん、その年の秋に、封鎖解除されたが、その時、中からバッハが聴こえてきた、というのは村上の処女作で、「これは、あそこにいた連中なのか」と驚いたものだ。
なぜなら、『風の歌を聴け』のような優れた小説を書ける人間など、あそこにいるとは思えなかったからだ。
『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』に書いた挿話である。