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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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「国際平和会議場にしなさい」と言ったのは、細郷道一市長だった

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1987年に、みなとみらい地区に作る国際会議場会社について、当時担当の部長だった岡本さんと課長の宇野さんが、細郷市長に原案を持って行った。

それは、株式会社横浜国際会議場、ICC横浜だった。

これは、ドイツ・ベルリンの国際会議場が、ICCベルリン(インターナショナル・コンベンション・センター・ベルリン)に倣ったものだった。     

この時、細郷市長は、 

             

「国際の後ろに平和を入れて、国際平和会議場にしなさい」と言った。

「えっ、平和ですか・・・」と聞くと

市長は言った、

「国際平和は、左翼の専売特許じゃないんだよ、国際平和こそ、全人類が目指すべきものなんだよ」

と言われて、正式名称は、株式会社横浜国際平和会議場になった。

ただ、名称としては長いし、やはり「左翼の施設なんですか・・・」と聞く人もいて、

すぐに愛称を作ることになり、私が担当になった。

一応、CIの会社に委託して、愛称、英文名称、そしてマークを作らせた。

そのとき、私は、平和、ピースの関連語としてパシフィックを入れて、パシフィック・コンベンション・センターを最終案に入れておいた。

それをCIの企業が一部を変えてきて、パシフィック・コンベンション・プラザ・ヨコハマ、パシフィコ横浜になった。

ウクライナ情勢等を考える時、全人類の願いは、国際平和なんだよと言った細郷道一元市長の慧眼には今更ながら感心する。

                  

以上は、拙著『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』(Pヴァイン)に書いたことである。

 


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