文化村で、思い出したのは、滝田久光さんのことだ。
彼は、横浜の生まれで、早稲田大学教育学部英語英文学科を出て、紀伊国屋書店に入った。つまり、私の大学の先輩である。
紀伊国屋では、サンフランシスコにいて、全米の大学に行き、日本の小説等を売り歩いてそうだ。
そして、「ある日突然に、ハイト・アシュベリーが、ヒッピーの町になったのには驚いた」と言っていて、これは本『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』にも書いた。
これは、1960年代の有名な出来事だが、本当に経験した人から聞いたのは、はじめてだった。
その後、滝田さんは、サイマル・インターナショナルに入社され、常務を務められていた。
そして、当時横浜コンベンションビューローの専務理事だった佐久間健治さんから、
「滝田さんが、横浜コンベンション・ビューローに来ることになった」と聞かされて、皆本当に驚いた。
コンベンション・ビューローでは、いろいろあったようだが、私は直接関係していないので、書かない。
最後は、自家のお寺にもどり、浄土宗の僧侶として過ごされていたとのことだ。
それも、2年前に亡くなられたとのことで、実はサンフランシスコ時代のことを聞こうと思っていたのだが。
ご冥福をお祈りしたい。