再び、『昭和天皇拝謁録』に戻る。
中で一番の問題点は、昭和天皇は、戦後、日本国憲法が制定された後でも、自分は日本の元首だと思っていたことだろう。
1953年5月18日のことで、首相を「認証しないこともある」と言ったことだ。
この時の政治体制は、吉田政権だが、保守は分裂していて改進党があり、社会党では左派が優勢になっていた。
そこで、かつての芦田政権のような、改進党と社会党との連立政権のようなことを考えたのかもしれないが。このときも、もちろん首相を認証しているのだが、ときどき自分は「象徴」とされたが、それでも日本の元首なのだとの考えが出ることがあったようだ。
そのたびに、リベラリストであった宮内庁長官の田島に、諫められている。
大正時代末期の摂政の時代から、1945年まで、元首的存在だった昭和天皇にとって、天皇は本来元首なのだという思いは、ずっとあったのだろうと想像する。
特に、大元帥として、戦前の軍隊を統帥していた者としては、元首的な発想は戦後もあったのだろうと思われる。
その点では、新憲法下で天皇となった、現上皇や、今上天皇とはまったく異なる存在だったと思うのだ。