ニトリに行って、似鳥を思い出す
昨日の昼、磯子のニトリに行った。店内は広くて気分が良い。ここで、昔阪神の投手で、似鳥(にたどり)というのがいたことを思い出した。読み方は違うが、同じ姓である。 たしか、ニトリの社長は北海道で、似鳥選手も東北だった。北海道は、東北からの移住者が多いので、ニトリの社長も元はそうなのだろうか。
View Article審議官はなぜいるのか
今、総務省の汚職で問題となっている「審議官」だが、これは地方にはないので、昔港湾局にいたとき、国の事情に詳しい方に聞いたことがある。すると「次官の下にいる審議官は、いずれ次官になるとしても、その業界の人たちと上手くやっていけるか、曝して見極めることだ」とのことだった。要は、各省庁の業界全体と上手く付き合って行けるのか、見極めるとのことだった。...
View Article『子午線の祀り』
木下順二作、野村萬斎演出の劇をKAATで見た。木下順二は、戦後の劇作家のなかで、今日の野田秀樹にまでつながる開祖である。というのは、野田秀樹が一番影響を受けたのは、唐十郎であり、唐十郎の師と言うべきは福田善之である。そして、福田善之が一番影響を受け、劇作のモデルとしたのは、木下順二の『山脈』などの作品なので、遠回りすれば、野田秀樹に繋がるのは、木下順二と言うことになる。...
View Article鳴海正泰死去、89歳
今朝の新聞に、元横浜市幹部の鳴海正泰氏が、亡くなられたことが出ていた。私は、鳴海氏が横浜市で、飛鳥田一雄市長のブレーンとして活躍されいた時代は市会事務局にいたので、直接に接触したことはない。だが、鳴海氏が横浜市を辞めて関東学院の教授になってからは、よく大久保栄太郎議長に呼ばれて議長室に来られていた。大体今頃である。...
View Article『BG ある19才の日記 あげてよかった』
「あげてよかった」は、『女性自身』に連載されていた若い女性の手記である。というのは嘘で、ライターの竹中労らが書いていたもの。脚本才賀明、監督丹野雄二、主演は和田浩治と西恵子、さらに西が憧れ、処女をあげてしまう中年男が二谷英明。...
View Article『地方紙を買う女』
これを最初に見たのは、大井武蔵野館で、日活の『危険な女』だった。松本清張原作で、1時間くらいの中編で上映しやすかったのか、よく3本立ての1本として上映されていた。主演は、渡辺美佐子、作家は芦田伸介で、監督は若杉光夫だった。...
View Article『明日に向かって突っ走れ』
似た題名の映画は、沢山あるもので、特に、「明日」と「向かって」、さらに「走れ」は多いと思う。これは、そうした全部を付けた作品で、1961年の日活。監督は、『太陽の季節』の古川卓巳。この頃、ドル箱の石原裕次郎が、事故で療養中で、いろんな連中が主役に起用されている。小高雄二は、以前から主役級だったが、顔つきが暗いのと演技が硬いので、ヒット作はなかった。...
View Article『宮本武蔵』1973年 加藤泰版
1973年に松竹で作られた加藤泰の『宮本武蔵』、武蔵は高橋英樹、佐々木小次郎は田宮二郎と、元日活、大映のスターである。お通も、元大映の松坂慶子だが、この頃は松竹になっていたようだ。...
View Article『ドッグ・ソルジャー』
1971年のベトナム戦争の最前線。従軍ジャーナリストのジョン(マイケル・モリアーティ)は、戦争への反感から麻薬を運んで一儲けしようとし、友人のレイ(ニック・ノルティ)にアメリカへの持ち込みを頼み、レイは修理ヘリコプターの中に隠して無事オークランドにもって来る。...
View Article長谷川初範も、65歳か
テレビを廻していると、NHKに長谷川初範君が出ていた。彼も、もう65なのだ。彼とは、私が市役所に隠れて芝居をやっていた時、大学の後輩大高正大が、横浜映画放送専門学院にいた縁で、われわれの芝居にも出てくれた。当時から、モテモテだったが、実に爽やかな若者だった。...
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