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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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宝塚ひとり勝ちの理由が分った

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衛星劇場で、浅草国際劇場でのSKDの公演の映像が放映された。1950年代末で、小月冴子と川路竜子が主演のもの2本。どちらもカラーである。
      1970年代に私も、浅草に見に行っていたが、大きな劇場はガラガラで、寒々しいものだった。そこで行われているのは、歌と踊りのショーで、劇はなかった。この2本も同じで、劇はなく、歌と踊りのショーのみ。だから、売り物はラインダンスのみとなり、男の客とお上りさんだけになるわけだ。SKDの他、当時は日劇のNDTもあり、戦前から大阪にはOSKもあって、これらの方が宝塚よりも上だと思われていた。宝塚は、「お嬢さん芸」というのが一般の評価だったと思う。特にOSKの評価は高く、笠置シズ子、京マチ子の二人のスターを出している。一方、宝塚は月丘夢路のようなスターは出ているが、女優としであり、歌や踊りの巧者ではいないと思う。
たが、宝塚は、1970年当時から「歌と踊り」のショーと劇があった。引用するのも恐縮だが、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』によれば、「劇的言語帯は、物語言語帯の上に成立する」ものであり、ドラマのないところに、スターは生まれないのだと思う。宝塚のすごいところは、権利関係でだめな時以外、パンフに脚本の全文が載っていることだ。ファンは、家に帰って、スターの真似をするだろう。野球少年が、王や長島のフォームを真似するように。また、『歌劇』という雑誌があるが、これの半分くらいはファンの投稿である。ここの編集者だったのが、岩谷時子で、彼女は越路吹雪と共に退団し、後の作詞家になったのだ。これも、赤字だと思うが、きちんと毎月出している。
以前、太地真央のファンの女性と知り合って、彼女に付き合って公演を見に行ったことがある。太地は、東京公演の際は、帝国ホテルに泊まっている。そこから、毎日劇場に行くときに、車の送迎が行われる。それは、彼女のファンクラブが運営していて、毎日の担当を決めているのだそうだ。たった数百メートルの送迎のために!これは、ファンにとっては、スターと一緒の時間を過ごせる、スターにとっては「自分はスターだ!」という実感が得られる、そして阪急にとっては、その分スターへの給与を減らせる、という全員への利益がある。まさに小林一三はすごい! と言わざるをえない。こうした、ファン作りが、現在の宝塚一人勝ちを作り出したと私は思うのだ。

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