『東宝見聞録』 磯野理(アスペクト)
1960年代の撮影現場とサブタイトルされているが、当時の東宝砧撮影所のことがわかる本である。 1939年に生まれた著者は、若い頃から映画が好きで、高校時代からエキストラとして撮影現場に行っていた。 大学時代にアルバイトから何とか編集部の助手になる。 この時期、どこの映画会社も大卒の新規採用はやめていたので、スタジオに潜り込むにはアルバイトから契約助監督にという道しかなかった。...
View Article製作 上野昂志
吉田喜重の傑作『戒厳令』の後タイトルには、製作として3人の名が載っている、岡田茉莉子、葛井欣四郎、そして上野昂志。 岡田は、吉田喜重の会社・現代映画社を代表し、葛井は日本ATGであるが、上野昂志は言うまでもなく映画評論家の上野昂志である。 彼が、製作を担当した内幕は、彼の本『映画・反英雄たちの夢』に書かれている。...
View Article『恐るべき遺産・裸の影』
1964年に公開された若松孝二監督作品で、彼の映画としては、初期に属するものだが、他の作品と随分感じが違う。 1963年に『甘い罠』でピンク映画にデビューした若松映画は、強姦シーンの強烈さなど、性と暴力で有名だった。 だが、ここにはそうしたものはまったくなく、むしろ当時の左翼独立プロ映画のような、メロドマラ的な描写と反原爆思想の映画なのである。...
View Article富士五湖
はまかいじとバスのツアーで、富士五湖のがあったので行くことにする。 富士山は、静岡側では語学研修で3ヶ月いたこともあるが、山梨側は行ったことがないので、行くことにした。 富士五湖と言えば、西湖で、映画『地球防衛軍』では、宇宙からの侵略者ミステリアンが、基地を作るのが西湖なのだ。 『地球防衛軍』は、空想科学映画の傑作だが、初めは夏木陽介、土屋嘉男、白川由実、水野久美らの青春映画の雰囲気で進む。...
View Article中村とうようさんの女性の好み
先月、行われた「とうようズ・デイ」で面白かったのは、湯川れい子さんの、 「中村とうようさんは、私やサンディーさんのように、丸顔で胸の大きな女性が好みだったのね」との発言だった。 それで思い出したのは、インドネシアのダンドゥットの女性歌手デティ・クルニアのことである。 1990年に、なにを狂ったのか、神奈川県が突然に「国際交流イベントをやる」と言って来た。...
View Article『出版ニュース』を読みに行く
雑誌『出版ニュース』の8月上旬号に『黒澤明の十字架』の紹介が出ていると言うので、記事を見にるために、非常な暑さの中、なんとか中央図書館に行く。 『出版ニュース』の清田義明編集長には、図書館にいる時に、「著作権法を整備してレンタル・ブックを」の提言で大変お世話になった。 この時の、私の提言が元で、著作権法が改定されて、本と雑誌にも貸与権が適用されるようになった。...
View Article小林幸 死去
今朝の新聞に元横浜市議の小林幸(こばやし みゆき)の訃報が出ていた、86歳。 86歳ということは、多分大正15年生まれで(昭和元年は1週間しかなかったので)、昭和の歩みそののものだったわけだ。 神奈川区選出の市議会議員だが、日本共産党だった。 1971年に、共産党の議員が一挙に5人当選された時の一人で、以後6期務められたそうだから、1990年代までいたことになる。...
View Article伊藤圭一氏によれば
このところ、死んだ人のことを書いたので、生きておられる人のことも書いておく。 日曜日の東京新聞に、作家伊藤圭一氏のインタビューが載っていた。95歳で、神戸の有料老人ホームに奥さんと一緒におられるのだそうだ。 伊藤圭一と言っても知らない方もいるだろうが、戦記小説の第一人者で、ノンフィクション小説が今のように脚光を浴びるはるか以前から戦場の真実を書いてきた方である。...
View Article『なんじゃもんじゃ 『可否道』より』
1963年に松竹で作られた作品、原作は獅子文六の小説で、脚本は白坂依志夫、監督は井上和男。 主演は元新劇女優でテレビで売れている女優・森光子で、そのヒモのごとき美術家は川津裕介。 その間に、劇団の若手女優として加賀まり子が現れ、当然のごとく川津と出来てしまい、彼は森光子の豪華マンションを去る。...
View Article『頭痛 肩こり 樋口一葉』
先月に見たのだが、一応良い芝居だったので、思い出しつつ書いておく。 樋口一葉の晩年の19歳から死後2年までを描くもので、6人の登場人物が全員女性である。 吉原の女郎で首を吊って死んだ幽霊の花蛍の若村麻由美がウロウロするあたりから、これは見たことがあると思い出した。 文学座の達者な女優、新橋耐子で見たのだ。 家に戻って調べると、2003年の8月に見ていた。...
View Article映画監督5,000人
先日、大学の劇団の後輩・青木健の葬式に行った時、一緒に車で連れて行ってくれた大高正大君の話だと、今日本には、映画監督を自称する人間は、5、000人いるとのことだった。 勿論、劇場用映画のみならず、ビデオ、CM、あるいはテレビ・ゲーム用の映像の作家をふくめた上での数字だと思うが。 だが、5、000人とは異常である。...
View Article枝豆摘み
メルヘンとも自然にも無関係なので、八ヶ岳には行ったことがなく、清里も野辺山もまったく関心がない。 なぜ、ツアーに参加したかと言えば、一度行って見たかったのと、バスツアーで避暑になればと思ったからだ。 先週の、はまかいじツアーと同じ方向で、横浜から北上し、第三京浜から川崎街道で八王子へ。 明治時代のシルクロードである。 中央道で、上野原、大月等をすぎて、まず山梨県立の「まきば公園」...
View Article『惜春』
1967年に松竹で作られたかなり奇妙な映画。 原作と脚本は平岩弓枝で、上野の老舗の組紐屋の主人が亡くなり、その遺言状を弁護士永井智雄が子供の三姉妹、元妻の森光子、親戚一堂に読む上げるところから始まる。 三姉妹の内、新珠三千代は前妻の子で、香山美子と加賀まり子が、最後は離婚した森光子の娘。...
View Article横浜の外人企業
尿道に結石があるというので、先週、今週と検査、そして手術の日程を決めるために、新山下の横浜市立みなと赤十字病院に行った。 ここは、言うまでもなく以前は、港湾病院で、中田宏前市長の「改革」で、民営化され、日本赤十字社への管理委託運営となっている。 この港湾病院は、確か本牧関連産業地区の埋め立ての剰余金で建設されたもので、建前としては、臨港地区に作る施設なので、港湾労働者を優先するというものだった。...
View Article「NEONEO」に『若き日の黒澤明の窮迫』が出た
ネット雑誌の「NEONEO」に『若き日の黒澤明の窮迫』が出た。 詳しくは、内容をご覧いただきたいが、以前からの私自身の疑問に答えを出したものである。 なぜ、黒澤明は、若い頃、プロレタリア美術同盟に入っていたのか、高校卒業後に芸大受験に落ちたとしても、なぜ他の美術大学に行かなかったのか。 彼の父・黒澤勇氏は、なぜ52歳という若さで、日本体育大学を辞めたのか等である。...
View Article『東海道四谷怪談』
1959年に新東宝で作られた怪談映画の名作であり、多分3回目だが、やはり面白い。 鶴屋南北の名作の映画化には、加藤泰監督の東映版もあり、これも伊右衛門が若山富三郎で迫力のあるリアリズムだが、私はこの中川信夫監督の新東宝版が好きだ。 備前岡山の藩士田宮伊右衛門は、下人の直助権兵衛に唆されて、妻お岩の父四谷左門を殺して、江戸に出てくる。 冒頭の寒々しい田圃での殺しの場面から画面全体に凄みがある。...
View Article新聞を読まない人々
昨日、スマフォでラジオを聴いていたら、「最近若者が新聞を読まない」と言っていたが、今更と思う。 私が、世の中には新聞を読まない、取らない人もいるのだな、と気づいたのは、12年前に脳梗塞で倒れ、滝頭の脳血管医療センターに入院していたときだった。 6人部屋で、朝刊だけ毎朝届けてくれる。もちろん、売店に行けばスポーツ新聞など、いろいろ売っているが。...
View Articleスキヤキ・ミィーツ・ザ・ワールド 1
先週の金曜日23日から昨日までの25日に富山県南砺市の福野で行われた「スキヤキ・ミィーツ・ザ・ワールド」に行き、久しぶりにイベントで興奮した。 まずは、福野に行くまでが大変だった。東京駅から上越新幹線で越後湯沢まで、東京駅からは伯母さんたちのグループが壮絶に喋っていたが、大宮から少年サッカーチームの合宿が乗り込んで来るとさすがに無口になる。...
View Article土橋正幸、死去
東映の投手だった土橋正幸が死んだ、77歳。 いろんなことが書かれているが、1964年に彼は、非常に奇妙な記録達成の構成員だった。 それは、1チームに20勝投手が3人もいながら優勝できなかったという、今から見れば信じられない記録である。 この年、東映には、彼の他、先日亡くなられた尾崎行雄、嵯峨健四郎と3人の20勝投手がいながら、その次が、ほとんど勝てなかったためで優勝は南海だった。...
View Article蘇る大映ドラマ
日曜日に、スキヤキが終わり、福野の駅前で飲んで戻ってテレビを見る。 ボクシングの村田諒太だが、右ストレートの切れは圧倒的で、一応世界への期待が沸く。 時間があるので、TBSの大ヒットドラマ『半沢直樹』を見る。 初めてだが、すぐに1970年代から80年代の人気ドラマ、山口百恵主演の「赤いシリーズ」等の大映テレビのドラマを思い出す。...
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