1959年に新東宝で作られた怪談映画の名作であり、多分3回目だが、やはり面白い。
鶴屋南北の名作の映画化には、加藤泰監督の東映版もあり、これも伊右衛門が若山富三郎で迫力のあるリアリズムだが、私はこの中川信夫監督の新東宝版が好きだ。
備前岡山の藩士田宮伊右衛門は、下人の直助権兵衛に唆されて、妻お岩の父四谷左門を殺して、江戸に出てくる。
冒頭の寒々しい田圃での殺しの場面から画面全体に凄みがある。
伊右衛門は天知茂で、小悪党の江見俊太郎にそそのかされて悪事に手をそめて、身を滅ぼす気の弱い武士をよく演じている。
お岩は、若杉嘉津子で美人なので、髪梳きの場面なども大変綺麗であるが、西本正のカメラ、黒沢治安の美術が良く、社長の大蔵がイーストマンの使用を許可してくれなかったので、国産のフジカラーだが、暗い感じがよく時代の雰囲気を出している。
また、特筆すべきは、役者の良さで、按摩宅悦の大友純も、実に適役、江戸の下層民の感じが出ている。
文化文政時代から、幕末、そして明治から戦前までの日本の都市には、こうした明日をもしれぬ生活を送っている下層民が多数いたのだ。
彼らの多くは、何らかの理由で、地方から都市に出てきた民衆で、その日暮らしの不安定な日常を送っていた。
いまあるような、医療、福祉、年金等の社会的保障の制度は一切なく、一度何かの都合で失敗したら、すぐさま最下層に落ちると言ったものだった。
その点、今ほど普通以下の大衆が保護されている時代はないと思われる。
だが、それは資本主義社会が、自分の保護のために必然的に作り出したものであり、貧民に慈善的に与えるものではないのである。
さて、伊右衛門は、林寛の伊藤喜兵衛に認められ、娘への婿へと請われ、お岩を殺害して、池内淳子との婚礼の床に入る。
だが、そこに池内かと思うと岩が、宅悦だと思い斬ると、それは池内淳子と父親の喜兵衛である。
蛇山庵室まで、1時間20分でスピーディーに展開する。
また、胡弓を使った琉球メロディーのような渡辺宙明の音楽も妖しさを奏でている。
中川信夫らスタッフは、この名作を137時間で作り上げで、黒沢が担当した美術予算はたったの80万円だったという。
まさに職人達の技というべきであろう。