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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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横浜の外人企業

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尿道に結石があるというので、先週、今週と検査、そして手術の日程を決めるために、新山下の横浜市立みなと赤十字病院に行った。

ここは、言うまでもなく以前は、港湾病院で、中田宏前市長の「改革」で、民営化され、日本赤十字社への管理委託運営となっている。

この港湾病院は、確か本牧関連産業地区の埋め立ての剰余金で建設されたもので、建前としては、臨港地区に作る施設なので、港湾労働者を優先するというものだった。

今や、そのようなことは誰も知らないが、みなと赤十字病院は、横浜の南部地区の枢要な病院としての位置を占めているようだ。

さて、この病院に入る入口の道路の向こう側は、現在はスポーツセンターや福祉施設、マンション等になっている。

だが、ここは戦後は、ベイサイド・コートという米軍の住宅地区だった。

私が市役所に入った頃にはすでに使われていなくて、ハイカラな住宅の廃墟のような状態だった。

そして、この住宅を戦災孤児の収容施設として映画の舞台としたのが、珍作『自動車泥棒』だった。

1964年、東宝の俊英と言われた和田嘉訓監督で作られた作品は、多数の自動車の部品を集めて来て1台の自動車を組み立てるという筋がまず無理だった。

私は、免許は持っているが、自動車のメカニズムには疎いが、いくらなんでも形式、仕様の違う様々な車の部品がきちんと組み立てられるものだろうか。

そして、黒人の出演者、ケン・サンダースをはじめ、ニセ黒人の安岡力也などが、その車を使って拳銃を奪い、最後はアフリカに行くことを夢見るのは、脚本の和田が書くのは勝手だが、どこに実現性があるのだろうか。

さて、バスで本牧を横切ると、ジー・ブラザースの看板を上げた建物があったが、閉まっていた。

ここの主人ロバート・リー氏は、本牧の不動産屋で、実は横浜の外国人企業の雄・ヘルムブラザースの番頭、マネージャーのような仕事をしていた方なのである。

そうした西欧人の主人に使える中国系の通訳兼マネージャーという関係は、実は横浜、日本の開港の際の、いわゆる「買弁」なのである。

私が、ヘルム氏やジー氏お会いしたのは、1980年代後半のことだから、随分と関係が続いていたことになる。

 


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