1960年代の撮影現場とサブタイトルされているが、当時の東宝砧撮影所のことがわかる本である。
1939年に生まれた著者は、若い頃から映画が好きで、高校時代からエキストラとして撮影現場に行っていた。
大学時代にアルバイトから何とか編集部の助手になる。
この時期、どこの映画会社も大卒の新規採用はやめていたので、スタジオに潜り込むにはアルバイトから契約助監督にという道しかなかった。
相米慎二、長谷川和彦らがそうであり、私の早稲田映研同期の金子裕君も同じで、日活のアルバイトから大和屋竺のところで脚本家になった。
後は、まだ多少とも採用していた記録・文化映画会社という道もあり、野口さんという先輩で大人しい方は、1966年に某記録映画会社に入られた。
編集室が、オールド・ミスの巣窟だったことも初めて知ったが、当時の量産体制時代の映画の作り方はよく分かる。
映画界の斜陽化の中で、彼は映像企画、簡単に言えば広告代理店のような新会社に廻され、そこでは自家のコネでヒットCFを作って当てる。
そこからテレビ部に移り、『傷だらけの天使』『祭りばやしが聞こえる』等のヒット作の製作も担当する。
多分、この頃が一番やりがいに燃えていたときに違いない。
だが、この本を読んで見て感じたのは、私が大学時代に、某テレビ局のアルバイトのときに感じたものと同じである。
少し厳しく言えば、この人たちは、特に何か表現しようとするものはなく、ただ製作現場にいることで、自分も創造的な仕事をしていると思い込んでいる。
別に本人が満足しているなら、それで良いが、しかしそこからは創造的、個性的なものは生まれてこない。
そこにいることで充足しているのだから。
こういうところにいたら、あるかどうかは分からないが、あるかもしれない本当に自分が表現したいものを作ることはなくなってしまう。
そう考えて、こういうところに就職するのはやめようと思った。
この磯野さんは、2年前に亡くなられているそうだ。