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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『遊女夕霧』『舵』

みつわ会の公演の券を品川でもらったので、六行会ホールに行く。 演目は、まず川口松太郎作の『遊女夕霧』 大正10年の年の暮で、講釈師から講談本作家になった悟道軒円玉の中野誠也が主人公で、菅野菜保之の講釈師如嚥から口述筆記で、講談本の読物を書いている。 そこに、吉原の遊女夕霧が来る。...

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『マイス・アンド・メン 二十日鼠と人間より』

ジョン・スタインベック原作の『二十日鼠と人間』は、この劇団俳小の前身である劇団俳優小劇場が、早野寿郎の翻訳・演出で1979年に上演したとのこと。 こうしたリアリズム作品を上演することの意義は非常に高く、劇団俳小の企画は高く評価できる。 だが、公演の出来以前に、シアターグリーンの固くて狭い椅子に1時間35分間も縛り付けられるのは、ほとんど「拷問」だった。...

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『変節の人 青島幸男の正体』 矢崎泰久

1995年は、1月に阪神淡路大震災が起き、オウム真理教団の搜索が行われ、その大騒ぎの中で3月に統一地方選挙が行われ、東京では青島幸男が、大阪では横山ノックがそれぞれに知事になった。 まるで、大騒ぎの中のドサクサだった。 この時、私は磯子区役所にいたが、選挙で青島が後出しジャンケンで勝利すると、日頃まったく政治に興味のない女性が、 大喜びして「やっぱり青島幸男よね」と言ったことにたいへん驚いた。...

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選挙ほど面白いものはない

40年間、横浜市にいて、選挙については、国政、地方、さらに投票所、開票所、そして立候補の受付までやったが、これほど面白いものはない。 私の考えでは、市役所の仕事で、一番興味深いのは、選挙と生活保護だと思っているが、どちらも日本国民の実像に直接触れられるからである。...

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田村光男を偲ぶ会は

日曜日の午後、昔ステーションにいた万寿さんから電話があった。 ステーションとは、先月亡くなった田村がやっていた会社で、彼女は、1991年に横浜でウォーマッド横浜をやった時、スタッフとして大活躍していた。 今は、フリーでプランナー、裏方として活動しているとのこと。 田村を偲ぶ会をするので、発起人になってほしいとのことで、私の名で良ければと当然承諾する。...

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松本健一、仙石由人、川本三郎

先月11月27日に麗沢大学教授で思想家の松本健一が亡くなった。その直前に彼の著書『官邸危機 内閣官房参与として見た民主党政権』を読んだばかりだったので、少々驚いた。 松本は、丸山真男から北一輝、吉本隆明に至るまでの戦後思想家の著作を吸収する中で、近代日本の政治思想へのかなり独自の考え方を披露してきた。...

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『鼬』

シス・カンパニー公演の『鼬』を見た。 これは、1934年昭和9年に上演された真船豊の戯曲で、大変に高い評価を得た作品であり、多くの戯曲集にも名作として載っていた。 演出は、長塚圭史で、彼は前に三好十郎の『冒した者』や『廃墟』を演出しており、日本の過去の名作を手掛けることは多いに評価できる。 だが、この作品はどうだろうか。...

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『若い恋人たち』

1959年の東宝の娯楽映画、脚本は笠原良三、監督は千葉泰樹で、非常に上手くできている。 主演は、カメラ会社・ミノルタの社員の宝田明で、父親は社長の有島一郎、母親は沢村貞子。 宝田は、銀座のバー・イスポアール(有名なエスポアールのことだろう)女性の司葉子を好きになってしまう。...

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『私はシベリアの捕虜だった』

映画史では、CIAの金で作られた反共映画とされており、1952年に公開されたが、その後フィルムの行方が不明だった作品。 2012年に山内隆治氏が、米国立公文書館で発見され、その後何度か小規模で上映され来たもの。 フィルムの冒頭とラストにタイ語のタイトルがあり、これは日本で製作された後、タイでの反共宣伝に使用されたものだそうだ。...

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大日本プロレス横浜大会

弘明寺の商店街で、割引切符をもらったので、横浜文化体育館での大日本プロレスを見に行く。 ここでは、エリック・クラプトン、スージー・クアトロ、ドゥービー・ブラザースなどのコンサートを見たが、プロレスは1983年4月の新日本プロレス以来。 大日本は、数あるプロレス団体の中でどのくらいのレベルか知らないが、来年は創立20周年というのは凄い。...

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素人女の娼婦姿

昨日の夜は、黄金町のシネマ・ジャックでピーター・ブルックの映画『世界一受けたいお稽古』を見た後、用があって戸塚までを往復する。 この時期、見かけるのは、クリスマス・イルミネーションで、商店やビル、工場などが客寄せのPRでするのは良い。 だが、普通の家がイルミネーションで飾っているのは、一体どういう神経なのか。...

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社会党はなぜダメになったのか 「人格だけならノーベル賞ものだ」

「歴代の日本社会党の代表は、人格だけならノーベル賞ものだ」と言ったのは、田中角栄だっただろうか。 今回の衆議院選挙で、野党第1党党首の落選は65年ぶりと言われ、グズ哲と言われた片山哲。 衆議院選挙で勝利して片山内閣を組織するが、内部の左派の反乱で総辞職する。 だが、この時、占領軍のGHQが一番期待していたのは吉田茂ではなく片山哲で、クリスチャンで高潔な政治家だった。...

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サンタさんへのお手紙

私の二女は、小学校6年くらいまで、サンタクロースを信じていた。 そこで、12月24日の夜には、いつも「サンタさんへのお手紙」を書いて、窓の下に置いていた。 翌朝、プレゼントと共に、サンタからのお手紙を発見して、大喜びするのが、25日だった。 もちろん、私が書いていたのである。 最初は、「サンタさんありがとう、私はサンタさんが大好きです」くらいだったので、ご返事は簡単だった。...

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『がめつい奴』

菊田一夫のヒット劇の映画化で、公演は1959年10月に芸術座で開始されたが、大ヒットで翌年の7月まで、9ヶ月のロングランになる。 この「がめつい」という言葉自体が、当時はかなり衝撃的な菊田の造語だったが、今では普通に使われるようになっている。...

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『太陽のきずあと』

地下鉄銀座線で渋谷に移動してシネマ・ヴェーラに行く。 町はクリスマスの恋人たちばかりだが、冴えない映画館に来る若者や女性がいるのには驚くべきか、当然と言うべきか。 1981年に曽根中生が日活を辞めて、東映セントラル・フィルムで撮った作品。 ここに至るには、三国連太郎・佐藤浩一親子で映画をという企画があり、それが潰れて金田賢一と新人の貞永敏の映画になったと自伝にはあった。...

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『忘れられない日本人移民』 岡村 淳(港の人)

記録映像作家岡村淳氏の、南米で出会った日本人移民について書いた本である。 1958年に東京目黒区に生まれ、映画少年だったが、大学では考古学、特に縄文時代を研究する。 そして、日本映像記録センターに入り、海外で取材したドキュメンタリーを制作することになる。...

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『人生は喜劇だ』 矢崎泰久(飛鳥新社)

雑誌『話の特集』のオーナーで編集長だった矢崎泰久による、関わりのあった多くの友人たちについての回想で、いろいろと興味深い話が出ている。 中心になるのは、公私ともに関係の深かった小沢昭一、野坂昭如、永六輔たちだが、その下に通低しているのが、五木寛之との件である。...

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『金環食』

神保町シアターの「桑野通子、桑野みゆき特集」 1時15分からの上映で、12時半に行くと、もう売り切れ近くの92番(定員99人)で、やっと最前列の席で見ることができた。 記録を見ると、2009年に見ているのだが、すっかり忘れていた。 最前列から見上げて見ていてつらかったこともあるが、役者の区別が分かりにくく、筋は前回同様に良く分からないところがあった。...

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安倍首相と天皇陛下

先週は、いろいろな人と会って飲んだが、その中で出たのが、安倍晋三首相の言動のひどさだった。 その原因は、彼は小学校から一度も公教育を受けていないからではないか、となった。 麻生太郎もそうだが、彼らのようなエリートが私立の学校で生きてゆけば、必ず周囲に取り巻きができる。 そして、お取り巻きによって絶えず「ゴマ」すられる生活で育つことになり、誰もご主人様に文句を言ったり、反論したりすることはなくなる。...

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『バンクーバーの朝日』

バンクーバーの朝日と言っても、別にバンクーバーに出る初日の出のことではなく、戦前にバンクーバーにあった日系人の野球チームの名称である。 ハワイ朝日軍なら、昔巨人に広田という捕手がいて、ハワイ朝日軍出身だったので知っていたが、カナダのバンクーバーにもあったとは知らなかった。 カナダや対岸アメリカのシアトルへの移民は、当初はカニ漁などの漁業だったが、その後製材業、鉄道敷設等に広がったそうだ。...

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